【ソナガチ:世界最恐の売春街】 ~インド西部コルカタ : 世界最大の売春街の実態~
誤解を招かぬよう、初めに言っておきます。
あくまでも実態調査の一環です!!!グレーな行動は一切してません。
ソナガチ.....聞いたことがある人はそう多くないと思う。
映画好きの人なら知っているでしょう。
映画 "未来を写した子どもたち" の舞台ともなった場所。
売春が宗教的に厳禁なインドではあるが、売春婦の人口が世界で一番多いと言われている。 これにも、ものすごく疑問を感じるところもあるが....
う〜ん…宗教て、誰にも聞いてもらえない悩みだったり相談を、打ち明けられる存在としては無くてはならない存在に等しいと思うけど、僕ら無宗教の人からすると厳しいな〜と思う戒律があっりして、逆に信者たちが自由を束縛されてるようにもに感じる時があるんだよね…たまにね。
宗教の話は深いので、誰が正解で、誰が不正解なんてないのかな。 もちろんどの宗教もリスペクトしてるけどね。 ただのちょっとした疑問。
話が脱線しちゃったけど、
そんなインド最大いや、アジア最大とも言われる売春街 "ソナガチ" では1万人以上の売春婦たちが働く、あるいは暮らしている。もちろん暮らしている以上そこには家庭も存在している。
売春街にはインド各地や、異国からやって来た売春婦たち、拉致、誘拐、または人身売買され強制的に連れてこられた女性…などさまざまに人たちがいる。
客との性交渉により生まれ、売春婦となる選択肢しかなく、学校へ行くことも、その町から出ることも、一生ないであろう女児たち。誘拐され連れてこられた挙句、逃げ出すことを避けるため鎖に繋がれ、薬漬けにされた女性たち… 聞く噂はブラックな話ばかりだ。
最大の売春街と聞くと治安がものすごく悪いんだろうが、実際はどうなんだろう......
緊張感はあったが、僕は一人で向かった。ソナガチへはコルカタを走るメトロで "Grish park" という駅まで行き、そこから徒歩で5分ほど行ったところ。
詳しい位置情報などネットには載っていないので一応紹介しておく。
駅を降りた僕は、街の人に "ソナガチへ行きたいんだけど、どうやって行ったらいい?" と聞くと多くの人に嫌な表情をされ教えてもらえなかった。
やっぱりここに住む人たちの印象もあまり良くないようだ。全く場所がわからないので とりあえず聞くしか方法はない。そんな事を繰り返していると一人の少年が話しかけてきた。
ソナガチに行きたいの?連れてってあげるよ。 ついに救いの手が僕の前に現れた.... 彼の名前はヴィシャル、僕と同じ歳だ。
先程の一件といい…彼に、ここに住む人たちのソナガチに対する印象はやっぱり悪いの?と尋ねると、"そりゃそうだよ...みんな関わりたくないんだよ"と彼はハッキリと言った。
じゃあ、なんでヴィシャルは俺を案内してくれるのさ? と聞き返すと "兄弟だからだよ" と言われた。今までインドでたくさん聞いてきた"ブラザー!!" の中で彼のが一番頼り甲斐があるようにこの時ばかりは感じた。
駅から5分ほど歩いた距離にそこはあった。売春がNGなインドだけど、そこには売春婦はもちろん たくさんのインド人(男性)がいた。
強姦が多発しているインドでは欲求の溜まった男たちが多いことも知っている…
ここにいるインド人男性たちは…
どうやら外国人は僕一人、いや誰もこんなところ好き好んで来ないだろう.....というような環境。 独特な臭いが鼻につく、公衆便所の臭いのような.....何かが腐った臭いのような....スルメイカのような....とにかく臭い。
外国人は僕一人なので、足を踏み入れた瞬間からものすごい視線を感じる。もはや痛みさえ感じるほど鋭い視線が突き刺さる。
ヴィシャルに写真を撮っていいかと聞くと大丈夫と言われたので歩きながら、一眼レフで写真を撮っていると、一人の大柄な男性が僕の腕を掴んだ。 "ここの写真は撮るんじゃない" そう言われた。素直にしまい、しばらく歩いていたがあまりの視線にヴィシャルが早くこの場を離れたいと言ってきたので、一旦ソナガチを出ることにした。
外国人の僕と一緒に歩いてると、あまりにも目立ちすぎる。だからこれ以上あそこにはいられない。そう彼は言った。
10分も歩いていなかったので、僕は全く満足できず、一人でもう一度行くことにした。
再び戻ってくると、チャイニーズ.....チャイニーズ.... と声をかけてくる何人かの年齢層様々な女性たち。だいたい10代〜70代......
…ん、70代!? 思わずびっくりするような年齢の女性も。
生涯現役やな!!.....てそういう事じゃないか。
それにしても、ここでも中国語.....本当、中国人は何処に行ってもいるんだな.....
ソナガチで働く女性たちの雰囲気は、今まで訪れた夜の街の女性たちとは明らかに異なる。海外の有名な売春街などでは外国人観光客はいい金づるだ。そのため、見つけるとすぐに寄ってくるはず、だが......
ここの女性たちは客引きをするわけでもなく、店の前に座り込んでいたり、声をかけるわけでもなく、じ〜っとこちらを睨んできたり、何も言わず手を掴んで来たりとちょっぴりスパイスが効いている(インドだけに?)。 中には露出の高い服装のオネエちゃんもいるが、だいたいがインドの民族衣装 "サリー" を来ているので、なんだかレアな感じ。
"人身売買されて閉じ込められている" なんて情報を耳にするけど、そんな雰囲気は一切ない。(僕が見つけられなかっただけかもしれない)
建物に取り付けられている鉄格子は、何も監禁用じゃない、何処にでもつけられている防犯用だ。売春婦の女性もたくさんいるが、やっぱり男性の数が異様に多い、だけど小さな子供たちだっている。
めちゃめちゃ危険な売春街と評判だが、実際はそんな香りはしない。屋台が並んでいたり、その横で子供達が並んでいたり、そこで暮らす人たちの生活風景まで垣間見える、独特の雰囲気は漂っているものの、命の危険は全く感じない。訪れた時間帯は夜だったが、日中訪れたら他の街と変わりないように思えるほど。
もちろん100%安全とは言い切れない。そこでは事件も起こるだろうし....今回一人で訪れて、何も起こらなかったのは、ただ運が良かっただけかもしれない。あの突き刺さるような視線は赤信号だったのかな。 しかしこのアウェー感、狙われたら格好の的になるに違いない。
それにしてもやっぱり一番気になったのが "視線" 本当にすごい。 好奇の眼差しとは少し違う。嘘でも居心地が良いとは言えない。
どれが民家で、どれがお店なのか区別がつかないような所があったりと、売春街と言われているものの売春街本来の "らしさ" は全く出ていない。 その代わり、なんだかダークな雰囲気は僕ら他所者(外国人)、誰が訪れても感じるだろう。
何人かの女性たちとコミニケーションをとったが、その中で一番驚いたのが、年齢は多分60代くらいの女性だったと思う、彼女が提示した値段があまりにも安すぎたこと。
300ルピー。日本円でだいたい500円ほど....
いくらなんでも安すぎるよ。そこまで自分の価値をディスカウントするほど、ここの相場は低いのか? それとも目の前の客を獲得したいという彼女なりの努力だったのか。
気になったので他の女性にも聞いてみたが、値段設定の相場はどうやらないみたいだ。それぞれ値段にもバラツキがあった。これは多分、客と売春婦との一種の駆け引きで成り立っているんだろう。それでも僕が聞いた値段の中では、一番高くて1000ルピー (1800円ほど) だった。
実際に女性を買い、もっとギリギリのところまで実態を調べてみたかったけど、僕にはそこまでする勇気はなかった。
もう十分お腹いっぱいになったので、記念にソナガチの売店でパンを買って帰った。
…お腹は壊さなかった。
先ほど案内してくれたヴィシャルと合流し、近所の連れも呼んで最後は一緒に夜ごはんを食べて僕のソナガチ調査の幕は閉じた。
ソナガチ、世界最恐売春街として有名なこの場所は外国人はかなり目立ったり、他の売春婦とは異なる雰囲気の女性たちがいるものの、活気に溢れた街でした。 ただ…みんなが、みんなじゃないだろうけど、街で出会った子供たちはこの街から出ることは一生ないのかな…なんて考えると 悲しい。
悲しいなんて一言では片付けられない問題だって事はもちろん分かっているが、何も出来ない自分の無力さを痛感した。
後からヴィシャルに聞いた話によると、人身売買で連れて来られた女性たちは家族に売られて来た人がほとんどだと言う。生活の為、自分の娘を売りお金を稼ぐインドの家庭が存在してると言っていた。それでも満足な金額ではないので生活は変わらず苦しいそう。
今回その女性たちには会えなかったけど、彼女たちは何を思い、何を感じて生きているんだろうか…
実際に訪れてはみたが、僕の心には何かスッキリしない、解決しない想いが生まれた。
以上。僕の世界最大の売春街 "ソナガチ" の実態調査でした。
最後まで読んでくれてありがとう。
僕の旅はまたまだ続く。
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【コルカタ】・ヤギの首切りに、マザーハウスに、ゴキブリ…!?
インドでの生活にも慣れ始め、第三の都市で訪れたのはコルカタ。インドの東部に位置し、人口密度は首都のニューデリーをはじめ、大都市のムンバイ以上....聞いただけで もう汗をかいてきた。
かつてのインド植民地政府の首都機能として栄えた大都市でも有名。そしてもう一つ、ここで有名なのが "死を待つ人たちの家" (マザーハウス)だ。
あの、かの有名な修道女、マザーテレサが生前、活動をしていたのがこの都市で、彼女は人生の最後もこの地で迎えた。そのため彼女のお墓もこの地に置かれている。現在そのマザーハウスではマザーテレサ同様の修道女(シスター)たちが入居者たちと生活しており、ボランティアも行われている。ここへの参加資格は特に設けられていないので、世界中からたくさんの旅人たちがここへボランティアの経験をしにやってくる。
そこには病気や貧困に苦しむ人たちが収容されていて、彼らは症状の度合いによって場所を分けられ、コルカタには多数のマザーハウスが存在する。 中には、もう手の施しようのない入居者たちもいて、彼らはそっとシスターたちに看取られ死を迎える。
これが死を待つ人たちの家と言われる由来だ。
残念ながら僕はコルカタに1泊しか滞在できなかったので、今回ボランティアには参加できなかった。一日もかからないスケジュールではあったが、他にも見たい場所があったので今回は諦めることにした。
マザーテレサのお墓には足を運んだので、写真だけ載せておきます。
世界で貧困の人たちに可能な限り手を差し伸べ、人々の希望だった彼女。 他の修道女たちを始め、たくさんの人たちが彼女のお墓の前に来ては、祈りを捧げていた。彼女がどれだけ世界に愛されているのかを、この光景からも見て取れる。
マザーハウスには彼女の歴史に関する資料もたくさん展示されていて、その資料の多さから彼女の功績も伺えた。
彼女が実際に生活をしていた部屋もあり、部屋の大きさは、ヒト二人が入ったら窮屈に感じる狭さ。中にはもちろん何一つ高価なものなど置いてなく、あるのは聖書と十字架だけ。自分には"これだけで十分、人の心に寄り添うのにモノなんて必要ないじゃない?"
この部屋を見て僕は、彼女がそう訴えかけてるようにも思えた。
僕には到底真似できない…と心底思った。彼女はすごい。
そんなマザーテレサに圧倒された僕が次に向かったのは、ヒンドゥー教の女神カーリー(シヴァ神の奥さん)が祀られているという、カーリー寺院へ向かった。
ここでヒンドゥー教の神々について簡単におさらい〜
ヒンドゥー教の三大神と言われるのが ブラフマー、ヴィシュヌ、そしてシヴァ
向かって左からブラフマー、 ヴィシュヌ、シヴァ
それぞれに強大で、計り知れない力を司る神の中の一神、【大地,世界を創造しその寿命が尽きた時に破壊がもたらされる】と言われるシヴァ神の奥さんがカーリーである。奥さんはカーリーというが、彼女は色々な顔を持っていて、普段はパールバーティーとも呼ばれている。その彼女が怒った時に豹変するのがカーリーと呼ばれる暗黒の面。その性格は邪悪で、ヒトの生き血を好むとされている。
左がシヴァ神 右がパーバーティー
単体にいくつもの存在があるっていうのが考え方が神話をややこしくする種だよね。
ちなみにカーリーのイラストがこちら↓
人の生首のネックレスをつけ、いくつもある手の一つでちょん切った首をもち、おまけに下敷きにしているが旦那のシヴァ神....
人の生き血を好むとされている為、ここカーリー寺院では彼女への捧げ物として毎日ヤギが斬首され、その首を捧げ彼女の怒りを鎮めていると言われている。
ひと昔前までは、人間がヤギ同様に犠牲になっていたという。信じがたい話ではあるが、こらが宗教だ。信仰というものは時に狂気にも感じる。
まさしく、ここはクレイジージャーニーで取り上げられてもおかしくない、十分にクレイジーな場所だ。
残念ながらヤギの首切りの現場には間に合わなかったが、その現場は生々しかった.......
写真撮影は基本禁止だが、神主らしき人から額にヒンドゥーの証を塗られたらokayとの事だった… 曖昧すぎる......笑
寺院内はさほど綺麗でもない大理石の地面で、土足が厳禁だったので少々面倒くさかったが 今後コルカタを訪れるクレイジーな方には是非とも足を運んでもらいたいところ。
場所はメトロで Kalighat駅まで行き徒歩で10分ほど。 地図↓
夕暮れ時には、インドのもう一つのタージマハルと呼び声高い "ヴィクトリア記念堂" にやってきた。
ここは完全にデートスポットだった....
正直言ってなん〜にも収穫はなかった。
記念堂の敷地内にある公園で、僕は訪れる前に見つけた本場のタンドリーチキンを持参していたので、一人(もちろん素手)でがっついてた。
周りのカップルに妙な表情で見られていたが、大きなお世話だ。
夜には、世界最大とも言われるインドの売春街 "ソナガチ" に潜入した。
※女性を買いにではなく、ここのブラックな噂聞きつけて、この目で確かめられずにはいられなかったから。 詳細は次の記事で紹介します。
一日で周るには少しハードすぎたコルカタ。 相変わらず内容の濃い一日を今日も過ごした。ヘトヘトの状態で宿に帰るが、コルカタの宿.....インドで今まで泊まってきた宿の中でも一番汚い。 とてもじゃないけど、ゆっくり落ち着ける環境ではなかった。
ベッドは謎にシミだらけ、部屋はジメジメしている、他のバックパッカーたち(西洋人)のカビ臭い着替え、シャワー室の汚さもピカイチ。
相変わらず、風呂に入る気がしなく "No more shower" の記録を更新しつつ眠れなかったので、ベットの上で携帯を触っていた。
部屋は、他の宿泊者たちが既に寝ていたので真っ暗。
僕も気がついたら眠りにつくだろうと思っていた矢先.....
僕の顔に何かが落ちてきた。 一度経験した、あの肌に当たる感触......
そう。
ゴキブリだった。
僕の触っていた携帯の灯りを頼りに来たんだろう…
ギャャャャャャ@?&$%¥⭐︎*。 僕は大声で発狂した。
ベットから飛び起き、一目散に宿を飛び出した。真夜中だったので、さすがのインドの街並みも静けさが漂っていた。
騒いでいたのは僕だけ。
しばらく歩き、体に疲れが見えて来たところで、落ち着きを取り戻し僕は思った。
俺はインドで今まで何を見てきたんだ?
家族揃って路上で生活する人々、いくら汚い環境でも 物ともせず毎日を必死に生き抜く人々、、、、俺はたった一匹のゴキブリに根をあげてるのか?情けねぇ。彼らにとっちゃこんな事、日常茶飯事に違いない。何をやってるんだ俺は…俺は彼らに学んだんだ。強く生きていこうと。ゴキブリ一匹なんて大した事ないじゃないか。
いつの間にやら、悟りを開いた僕はきた道を戻り、宿へ帰った。
部屋に戻ると、相変わらず床には何匹かのゴキブリ。 そんな中、"大丈夫ですか?" と日本語で一人の男の子が話しかけてきた。どうやら僕の叫び声で起こしてしまい、眠れなくなってしまったようだ。 本当に申し訳ない。
聞くと、彼も同じく日本から一人旅で来ているそうで、歳が一つ下のユウヤくん。僕は久しぶりに使える日本語で興奮したのか、今まであった事を彼に事細かく、嫌ってほど聞かせ、おかげさまで、お互い眠気もどこかえ消えてしまったので、これまで訪れた国の話、これから行く国について教えあったりなどしてるいうちに、会話も盛り上がり、お互い時間の存在を完全に忘れていた。気がつけば辺りは明るくなっていた。
彼はすでにヨーロッパを周り終えている猛者だったので、僕が欲しかった、ヨーロッパについての有力な情報もたくさん頂けて、嫌なことが起こった後とは思えないほど楽しい時間を過ごせた。せっかくなら彼と一緒にコルカタを周りたかったな。
残念ながら僕は今日、コルカタを出るスケジュールだったので、彼と過ごせたのはこの短い時間だけだった。
ユウヤは今日マザーハウスにボランティアに行く予定で、時間まで少しあるというので一眠りしたいと言い、僕は電車の出発の時間まで中途半端だった為、このまま起きておこうと、彼を起こしてあげる約束し、ユウヤを寝かせてあげた。
........ところまでの記憶はあったんだが、気がつけばユウヤに起こされている自分がそこにはいた。
起こしてもらってなかったら、完全に電車を乗り過ごす羽目になるところだった。 2度目の、申し訳ない.......
最後は見送ってもらい、別れを惜しんだ。
そんなドタバタ劇の夜を過ごし、僕はインド最終目的地 "ムンバイ"へ向かうのであった。
最後の移動はファーストクラス。
エアコンも効いていて、空気も綺麗。座席に敷くシーツ、そして毛布まで用意されてる…ジェネラル車とは180度異なる環境だ…
車内は少し肌寒いので毛布を被って寝ることになった。
エアコンがガンガン効いている中で毛布にくるまって寝る……なんて事ほど贅沢なはない! オマケに三食も付いている!! 久しぶりに味わう贅沢にインド生活での疲れが吹き飛んだ。
いよいよインド最後の地ムンバイへ。
最後まで読んでくれてありがとう。
僕の旅はまだまだ続く。
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素敵なインドの列車~彼の夢も背負って僕の旅は続く~
バラナシでの生活を終えて、次の目的地へ向かうため 今回もあのジェネラル列車を利用する。
日本では線路内に立ち入るなんて松○伊○さん同様の罪でアウトだけど、インドじゃオッケイです。インド人たちは平気で用を足したり、フラフラ歩いたりしてます
ジェネラル車で唯一気に入っているのが、車内で飲めるチャイ。 汚い車内だが、とても優しいチャイの味に僕は虜になった。
チャイを飲んでいる瞬間は唯一ジェネラルな環境を忘れられる。
おっちゃん落ち着きがないからブレブレ....
前回もお伝えしたが、とても素敵な列車とは言えないこの環境。 だとしたらこのタイトルは何? てことになるでしょう。
列車が素敵…というよりは、素敵な出会いが列車内であったと言った方がいいのかな。
僕の座席の前に座ったのはアビィー26歳。彼は日本の福島にも留学経験があり日本語がかなり流暢だった。日本語で詩を書くのが好きで留学した際には、福島の新聞にも取り上げられたほど。彼が作った詩を是非、見てアドバイスが欲しいと言われたので、何かを教えられる立場ではないんだが、自分が少し気になった点だけ指摘させてもらった。
久しぶりに疑いの目を向けずに日本語で海外の人と話せる環境にちょっぴり嬉しかった僕。彼は今、再び日本へ留学する事を夢見て、成績最優秀者にだけ与えられる、日本への留学資格の審査を待っているそうだ。僕は他のインド人達に英語では聞けなかった質問などを彼にぶつけ、説明してもらい、おかげで今までのハテナも解決することができた。
その延長線で、話の話題はお互いの身の上話へ.....僕は今現在、旅をしていて、今まで訪れた国や失敗談、感動したこと、美味しかった食べ物の話、そして これから行く予定の国の話を彼にした。すると彼は興奮した様子でイスラエルに行くならお願いを聞いて欲しいと言ってきた。
そのお願いが、イスラエルにあるユダヤ教の聖地 "嘆きの壁" についてだった。ユダヤ教の聖地として有名な場所で、毎日 朝から晩までおおくのユダヤ教信者たちが各々の想いを書き記した手紙をその壁へ挟む。
↓
アビィーはその嘆きの壁に自分で書いた想いの詰まった手紙を挟んできて欲しいと頼んできた。
訳を聞いてみると、彼はインド人ではなくてギリシャ人、イスラエル人ハーフの母と、イギリス人の父との間に生まれ、幼い頃にインドに連れてこられ里親に預けられてからずっと、今まで育ててもらったようで、13歳の時に一度父と母が会いにきてくれて以降、26歳の今まで一度も会えていないんだとか.....育ててもらったわけでもなく、思い出も少ないけど、両親を今もずっと想い、"また会いたい"と再会を願ってその想いを手紙に書き記したと。アビィーは涙ぐんだ目で僕に話してくれた。
でもそんな大事な手紙を僕に!?とも思ったが、イスラエルは物価も高く、本人はいつ行けるかも分からないので、行くことが決まっている僕に託したい、1秒でも早く手紙を挟みたい。だから僕に挟んできてもらいたいんだ、と大事な手紙に僕の名前まで書き足してくれて、挟んできて欲しいと訴えた。 アビィーの真剣なお願いに僕も断る理由も見つからず、彼の力になれるなら喜んでと、一つの夢のお手伝いをさせてもらうことになった。
この手紙を受け取った瞬間から、僕の旅は僕だけの旅ではなくなる。大切な想いも背負って旅を続けることになるんだ...と気が引き締まった。
人の夢の手助けをする経験なんて今まで味わったことがなかったので、なんとも言えない..楽しみというか、緊張というのか言葉では表せないような興奮が僕の心に生まれた。
彼のホッとした、嬉しそうな顔を見た時が何よりも嬉しかった。彼のその顔を僕は一生忘れない。
その道中、列車から見えるガンジス川がいつもより綺麗に見えた。
彼の夢も背負って僕の旅は続く。
最後まで読んでくれてありがとう。
次回も乞うご期待
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【ガンジス川】体を汚してこそ感じるナニカ。そこで暮らす人々。
↓↓↓おかげさまで4位に浮上しましたー!ありがとうございます!!
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ガンジス川沿いに宿を借りて、僕のガンジスライフは始まった。ガンジス川の第一印象はやっぱり、きったねぇ川。とてもじゃないけど神聖な川には見えない。訪れる観光客たちも身を清めに沐浴というよりは一種の我慢比べ。僕も同様に沐浴したかったが、ベトナムで負った脚の怪我がこれまで利用してきたジェネラル車の狭い環境で乗客達の足と何度も擦れて悪化してしまった。
便器の30倍も汚いと言われているガンジス川。敗血症などが心配で今回は見送ることにした。
僕ら観光客は必要最低限の着衣を身にまとい、1時間ほど沐浴よくした後、即行で宿へ戻りシャワーを浴びる。これがセオリー。
それでも何人もの人たちがお腹を壊す羽目になる。ガンジス川の恐ろしさを物語っている.....
沐浴は一種の観光行事の一つだが、やはり聖なる川ということもあって、ルールもきちんと設けられている。多くのインド人達が利用している沐浴場所では白のふんどしを利用しないといけないらしい。
世界でもその名が知れ渡るガンジス川。川に沿って歩いているといろんな光景を目にする。
川を利用して洗濯をする人、沐浴する人たちや、入水して遊ぶ子供達、沐浴中?の牛、トイレ中、もはや川は彼らにとって生活の一部に過ぎない。死後の世界とつながると言われているガンジス川、より近くで生活を送りたいとインド各地からやってくるインド人も多いよう。
洗濯も洗剤は使っているんだろうけど、ガンジス川で洗われた服はさすがに気持ちよくは着れないな.....
ガンジス川で沐浴する地元の人に話を聞くと、いくら失敗や悪い事をしてもガンジス川に入ると全てがリセットされるらしい。
その為、悪い事を繰り返す人もたくさんいるよう…
矛盾だ。
それにしても川沿いはそこまでじゃないけど、バラナシの路地はとにかく狭い。たたでさえ狭いのにも関わらず、インド人はもちろん、たくさんの牛達が道を塞ぐ。可愛らしい牛ならまだ許せるが、立派な角を持ったボケ〜ッッとした牛達。彼らに痛い目に合わせられた。
道を塞ぐ牛達の隙間を そ〜っと通ろうとした時、運悪く牛が振り返る。そして立派な角が僕のみぞおちにクリーンヒット。牛にブチ切れる余裕もなく、苦しくてその場にしゃがみこんでいるとインド人に爆笑された。 心配の"し"の字もなかった。 あのインド人の顔は死ぬまで忘れない。
そんな路地を一人で歩いていると、一人のインド人が話しかけて来た。
インド人に話しかけられるのは、何も特別なことじゃない。どこにいっても、何をやっていてもインド人には話しかけられる。インドにいるとそんなことは日常茶飯事。彼らはとても好奇心が旺盛。
それがインドだ。
とりあえず話す事はどこでもタダ。話を聞いてみると、内容は火葬場の件。ガンジス川と言ったらやっぱり火葬場、生活を送る横で人が燃やされている光景は有名な話。どうやら二つあるらしくメインの大きい方の火葬場まで案内してくれるとのことなので、せっかくだし案内してもらうことにした。もちろん好意でお金はいらないと言われたので。
ただ、火葬場を見学し終わったら自分の店を見に来て欲しいと言われたが、気が進まなかったのでいいやぁとバックれるつもりだった。
街を案内してもらいながら到着した火葬場。ここの火葬場で人生のピリオドを打ちたいと、各地からたくさんのインド人達が集まる。
到着すると、係員みたいな人が近寄って来た。ここで働いてる人らしく安全で失礼のないように案内してくれるみたい。いつの間にやら連れて来てくれた人とバトンタッチ......
最初に連れてこられたのは火葬場に隣接されてる通称 ”死を待つ人の家”。不治の病や、希望で病気の治療をせず 最後を待つ人たち、お金がなく治療ができない人たち、身寄りのない人たち、がそこに収容されている。中には入れなかったが入り口にはシスターらしき人が座っていた。
彼女いわく、そこで死を迎えた人ちはもちろん、誰しも必ずガンジス川で火葬される訳ではないらしい。ガンジス川で火葬をされるには大金が必要でお金が足りない人たちは周りの人たちから寄付を募るそうだ。日本でも葬式を行うときはインドと同じく大金が必要。ガンジス川では10万ほどで出来るそう、かつてイギリス人女性が希望してガンジス川で火葬を行なった事例もあるらしい。
そして次に連れて来てもらったのが、火葬場。こんな言い方をしたら失礼だけど、ついに目の前で人が焼かれている光景を目のすることが出来た。生身の人間が自分の目の前で焼かれている光景を目にするのは、当たり前だけど初めて。少し興奮した。無礼と知りつつ、食い入る様に近づいて見ていたら親族らしき人に近づきすぎだと怒られた。"失礼しました"。
"神聖な木"が積み上げられた上にオレンジの装束で包まれた遺体が乗せられていた。このスタイルもピンキリで、"神聖な木"は秤で重さを計られ、重さによって値段が決まる。人によってはさみしい感じの火葬になっていたり、装束で覆うのも、もちろんお金がかかるので中には素っ裸で執り行なわれている遺体もあった。
神聖な火葬場である事には変わりないんだが、真横で普通に洗濯をしている人がいたり、平気で小便している人、牛も沐浴中だったりと観光者の僕の目には、ただただシュールな画だった。ヒンドゥー教の中途半端さも僕の心に引っかかった。神聖だ、神聖だと言うぐらいならもう少し厳重な環境を作ってもいいんじゃないかな。せめて周りだけでも。(僕個人の意見です)
上からは写真を撮ってもいいとのことだったので、何枚か載せておきます↓↓
もちろん火葬場なので下は熱くて煙がすごく、1時間居ることがが限界だった。僕は火葬場の二階から一人の人間が焼かれて行く光景を最後まで(約2時間)見届けた。何かを感じると言うよりは煙と暑さの中2時間が過ぎていたので、やっと終わったと言う、ホッとした気持ちの方が大きかった。申し訳ない....これが生と死が混在する街か.....その後も少しの間、物思いにふけっていた。きっとこの感覚はここバラナシでしか味わえないだろうと。
お金のあるなしに関わらず、ここガンジス川で火葬されるのにもどうやら条件があるみたいで 妊婦、幼児、蛇に噛まれた人、聖人(多分 他宗教)、お金のない人、動物は資格に値しないみたい。原則、綺麗な体じゃなくてはいけないみたいなので、蛇に噛まれると体に毒がある=汚れたことを意味しNGらしい。 色々矛盾も感じるが.....
見終えてその場を出ようとしたら、案内役に先ほどの死を待つ人の家に連れて行かれ、ここで死を待つ人たちに寄付する様促された。強制ではないはずの寄付が半ば強制の雰囲気....断ると例のシスターから "あなたには今後たくさんの不幸が起こる" と罵られた。 お金を払う、払わないで人の幸せを決めるなんて、なんて低俗な宗教だ!とビックリ。 この日から僕はどうもヒンドゥー教を好きになれなくなった。
しかし今思うと今後、僕に降りかかる不幸の数々はこのシスターの予言通りなのかな....と思ってみたり.....
なにはともあれ、火葬場を後にし、怪我をして沐浴が出来ない体の僕は、船でガンジス川を感じようと安く乗せてくれないか船乗り達と交渉していた。
一組の船乗り達が500ルピーから300ルピー(420円ほど)まで落としてくれたのでお願いすることになった。船...というかボートはもちろん人力でかなりボロッちぃ....何年も使われていない様な雰囲気を醸し出す。転覆しないか心配だったけど、貸切でこの値段まで落としてくれる人がいなかったので他なかった。
ボートを漕ぎ始めて、川辺からだいぶ離れた時にあることに気づいた。ブンブン飛んでくる蜂.....そう、ボートの内部にに蜂の巣があったのだ。 昔一度刺されて痛みを知っている僕は蜂が大の苦手。悪夢の始まりだった。
発狂する僕に船乗りは爆笑しながら "大丈夫か?" と心配する気なんてさらさら感じられず、お前達のボートが全然大丈夫じゃないんだよ!と終始文句を叫んでいた僕だった。
こんな状態なので100%ガンジス川も感じられなかった。これがこの時できた僕の最大限の笑顔。
それにしても、流れに逆らって進んでいるのでめちゃくちゃ進むのが遅い。代わりにオールを借りて漕いでみると、そのしんどさを身をもって感じた。めちゃくちゃしんどい。まずオール自体が重いのと、流れに逆らってるので思う様にオールをコントロールする事が出来ない。今まで漕いでいた二人に感謝と尊敬の眼差しを向けていた僕。
これは...いくらなんでも300ルピーじゃかわいそうだったかなぁ。少しチップも渡さないとなぁ...なんて考えていたんだが、降りる時になって、 "しんどさ分かっただろ?だから500ルピーよこせ" と向こうから言ってきたので、僕の彼らに対するあの尊敬の気持ちは完全に消えた。もちろん納得していないようだったが 予定通り300ルピーだけ渡してその場を後にした。
そして一旦、宿に戻ろうと歩いていた帰り道 自称マサシ というやつに声をかけられた。
全然顔がマサシじゃない。 逆にマサシの顔がどんな なのか聞かれるとうまくは答えられないが、これは間違いなくマサシじゃない。
あまりにツッコミどころが多いやつで、気にならずにはいられなかった。話を聞いてみると昔付き合ってた日本人の彼女からもらった名前だという、その日から彼はマサシ。
そして彼女の名前はマユミ。僕の母親の名前と同じ.....僕は彼をどうも他人とは思えず、これも何かの縁だと思い。連絡先を交換して、その日の晩、一緒に夜ご飯を食べる約束をした。
宿で一息二息つき、夕方はガンジス川の恒例行事、ヒンドゥーの儀式に参加しようと、街であった地方からやってきているインド人観光客と向かった。
7時からスタートと聞いて30分前にその場所へ到着したが、ものすごい人の数。
ベストスポットはすでに満員、僕たちはもちろん立ち見。次々と人が集まり、川辺にも船がつき船から覗く観光客達もいた。むさ苦しい中で時間がたち いよいよ儀式がスタート。
手に、特殊な火を扱う器具を持ってブンブン振り回している。彼らも十分暑そうだが、見てる僕達も実はかなり暑い。思う様に身動きも取れない状態で儀式を見届ける。
あまり変化のない儀式に、次第に終わりを待ち望んでる自分がそこにいた。1時間......楽しい時間はあっという間なんてよくいうけど、儀式の時間..とても長く感じたってことは楽しいものではなかったのかな....笑 今回の1回で十分お腹いっぱいだった。 どうもご馳走様でした。
先ほどあった自称マサシとご飯の約束をしていたので、約束の場所へ向かった。期待してなかったのに彼は僕より先に待ち合わせ場所で待っていてくれた。(外国人が約束を時間通り守るのは珍しいこと) 僕の彼に対する印象はグンと上がった。
僕はマサシにとりあえずバラナシの名物が食べたいと伝え、お店に連れてってもらった。期待はしていなかったけどやっぱり出てくるのはカレー。少しは味に変化が見られるかな....と微かな期待もしたが、今まで食べてきた味となんら変わりない。 これ以上期待するのはもうやめようと誓った。
気前よく、彼が奢ってくれたところまでは良かった。お互い満腹ではなかったのでもう一食、食べることで意見は一致した。マサシがピザを食べようと言ってきて、ちょうど僕も久しぶり洋食が食べたかったので二つ返事。
テイクアウトで彼のお家の前で近所の仲間達も呼んで食べた。てっきり前菜同様、今回もお金を払ってもらえるもんだと思っていたが、ピザ代は僕らしい。。1500円。大金ではないように思えるがインドで1500円の価値だと牛角二人分のの価値に等しい.....ずるいよ〜マサシ....だったら前菜のカレー代を俺が払いたかったよ。。
心の器が、紙コップほど大きさの僕からしたら、何とも釈然としない気持ちだ。
とは言え、その場は楽しい雰囲気に包まれていたので。場の雰囲気を壊したくない一心で我慢した。インド人らしい、ちょっぴりズル賢いところもあるけど、悪いやつではない(個人的見解) 集まった連れ達もなかなか面白いやつらばかりで楽しい席になった。
日本のヤクザについて興味があるらしく本人達はバラナシのヤクザ的存在だと言い張っていた(そうは見えない)
マサシは元カノと別れはしたけど、今も定期的に彼女とコンタクトは取っているらしく、マサシは美味しいチャイを彼女に、彼女はマサシに靴などを送ってくれるそうだ。(金額的に彼女の靴の方が高いな...) 相変わらずの世渡り上手だ。自身が現在履いている靴も彼女からいただいたらしく、誇らしく見せてくれた。思い入れもあるみたいなので僕にもそのナイキの靴が、他の靴よりも輝いて見えた。
美味しいピザをみんなで囲み、賑やかな夜。悪くない......やっぱりインド、、好きだ。
こうしてバラナシでの楽しい夜もあっという間に過ぎていく。
まだまだ僕の旅は続く。
最後まで読んでくれてありがとう。
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雨までカレー味!? そしてついにあの聖なる河へ..
タージマハルも見終え、次なる目的地 聖なる河 ガンジス川のあるバラナシへ向かう予定を立てていた僕。正直言って、ニューデリー(デリー)は1,2日あれば十分。言い方は少し雑になってしまうけど、ここはただ汚く、人が多い上に地方各地からそれぞれ個性に磨きのかかったインド人たちが集まるところ。ただでさえパンチの個性的な国民なのも関わらず、パンチの効いたヤツが多い…
無類のインド好きにはもっと楽しい場所だと感じるんだろうけどね....
経済成長がめざましいインド、その傍らインフラ整備が追いつかず汚れていく街中、もはや、どれとどれが繋がっているのかさえ分からない電線の数々、家族揃って路上生活をしている人々、明日も明後日もきっと同じ味であろうカレーを美味しそうに食べる人々、外国人を見つけては何かをこじつけてお金を巻き上げようとする人々。よく分からない大道芸人 などなど。
本当に個性豊かなインド。ここニューデリーは僕たち観光客がこれからインドでの生活を始めるにあたって、いわば登竜門のような場所。
ここに来る前からインドの情報はよく耳にしていた。汚い、うざい、ボッタくり、衛生面、治安の面などなど。実際に来てみて思ったのは、、汚い, ボッタくり, 衛生面, に至っては噂の通り。嘘でも綺麗, みんな正直 などとは言えない。道にゴミが落ちてないところなんて見ないし、なんてたって そこら中にいる牛。
お腹を壊す人たちがいるのと同様に牛もお腹を壊しているのか、彼らの"ビチクソ汁カレー" が街のいたるところに放置されている。さすがのインド人達もそれを踏むのはショックらしく、踏んだ人たちはショックを受けていた。
それが何だかんだ面白くて爆笑していたら自分も踏んだ。
インド4日目にして僕はあることに気づく.....そう言えばインドに来てから風呂に入っていない。
僕が訪れた時期はちょうど雨季で湿度が90%もあり、おまけに世界3位の人口を誇るインドの人口密度ときたらもう......何もしなくても、動かなくても汗だくになる環境。宿は宿で、初めて利用するはずのベットが前に寝ていた人の汗か、湿気なのか分からないが、すでに湿っぽかったり、風呂場は風呂場で入っても体が綺麗になった気が一切しない。そうシャワーに対するモチベーションが全くわかない状態。
モチベーションの問題なのかどうか自分自身にも聞きたいところだが、別にここはインドだし周りのインド人もインド人で、清潔感にはこだわりもしていない、なので僕も僕でそんなこだわりは捨てた。
体がベトベトすること以外は気にならなかった。これはもしかすると一種のゾーンだったのかもしれない。
ただ面白いことに、インド人から漂うあの独特のスパイシーな匂い(※全員が全員ではない)が自分からも漂ってることに気づいた。普通なら結構ショックな出来事なんだろうけどこの時の僕は嬉しくてたまらなかった。
インド人に一歩近づくことが出来た。
理解してもらえる人は限りなく少ないだろうが、インド人をこよなく愛しリスペクトする僕にとっては快挙も同然。ここで僕がたてた仮説は、体臭は食生活が大いに関係しているということ。インドに来てカレーしか食べてない生活を送り続けた結果、インド人と同じ体臭を手に入れることに成功したんだ。と一人で納得していた。
風呂に入らない生活は悪いことばかりではなく、デリーの街中を歩いてるとホームレスの人たちにやたらと声をかけられた。あまりにもたくさんのホームレスの人たちに呼ばれたので近づいてみると、そこでは炊き出しが行われていた。生活に困っている人、路上生活者がそこに集結していた。彼らはどうやら僕を仲間だと思ったらしく招待してくれたようだ。一体自分は他者の目にどう映っているんだ......なんてことは一切気にせず、タダで飯がいただけることへの喜びを周りのホームレス達と分かち合った。
ここニューデリーで何が一番驚いたって、カレーの雨が降ること
あれ?今日天気予報 カレーだったけな?てそれは言い過ぎたけど、本当にビックリ仰天。最初は鳥の糞かと思ってかなりショックだったが匂いを嗅いでみると、どうやら違う.....そうカレーだった。 いやいや、インドだし鳥もカレー食べて糞がそういう臭いなんじゃないの?と思われがちだが、マジでカレー。僕たちがいつも食べてるあのカレー。なんなら少し辛口。 状況がいまいち飲み込めないまま、空を見上げてみたが快晴。カレーが降ってきそうな天気ではない。
おかしいなと思いつつ、しばらく頭上を見上げていると謎は解けた。ここはかなりの住宅密集地で息がしづらいほど建物が並んでいた。そこの住人の仕業なのか、部屋の窓からカレーが落ちてくる。多分食べ残したカレーをそのまま外に放り投げているよう。自分の部屋のゴミ箱を使わず窓からゴミを放り投げている環境を目にして、インドのクリーンな未来はないなと改めて思った。
まぁ何はともあれ、鳥の糞ではなく、摩訶不思議な珍事件も解決したので個人的には満足だった。(完全に感覚が麻痺している)
そんな毎日何かしら突っ込みたくなるような出来事の多かったニューデリーともお別れの時がやって来た。"また来たい!!"と心から言えるような環境ではなかったけど、今まで訪れた都市の中でもトップを争う濃い場所だった。
次に向かうバラナシへはデリー駅から電車で13時間ほど、一番安いジェネラルシートではあったが ちゃんとスリーピングシートになっていたのでアグラへ向かった際に利用した座席シートとジェネラルと比べると天と地の差だった。もちろん綺麗な列車ではないけど睡眠を確保するのには文句なし。
1コンパートメントに6人まで入れる仕組みになっていて、昼間の時間帯は一番下のシートだけが稼働している感じ。 必然的に一番下のシートだと自分の寝たいタイミングで寝られないと思われがちだが、それは気遣いができる心優しい人たちにだけ該当する。
外国人が自分の意見をはっきり言う性格、悪く言えば図々しいのは十分理解してるので、僕も日本を一歩出てからは彼らを見習ってずうずうしく生きるよう心がけている、僕は下の座席だったがそんなの御構い無し、全然気にならない。寝たい時に彼らにはどうてもらう。
インドを訪れた人達から、"うまくは説明できないけど現地では色々感じさせられるものがある"なんて話をよく耳にしていたが、本当にその通りだ。
僕たちが悲鳴をあげたくなるような環境の中でも100点満点の笑顔を見せてくれるインド人や、家族揃って路上生活をしているインド人、一日30円ほどの稼ぎを頼りに必死に汗を流すインド人、僕が思うに彼らの頭の中の辞書には"汚い"なんて言葉はないんだろうなと感じた。これは中傷なんかではない、インド人がどれだけ力強いかって事を僕は伝えたい。彼らから学べる点はたくさんある。こんなに収穫の多い国は今まで初めてだ。
フォトジェニクな観光地が多い国では決してない、綺麗な建物世界遺産を見て感動する場面も少ない。だけどインドに住む人たちのそういった点が多くの観光者を惹きつけるインドのもう一つの魅力なんじゃないかなと僕は思う。
僕が乗っているジェネラル車は汚い車両であるにも関わらず、正規の清掃員は一人もいない。それゆえ非公式で列車に乗り込み掃除をしてくれている人たちがいた。誰も頼んでもないし雇われてる身でもないので、必ずお金がもらえるわけではない。
この汚くて、誰も腰をおきたいなんて思わないであろう床に靴も履かず。這いつくばって箒を片手に一生懸命掃除をしてくれていた。世界のどこの国を周っても、物乞いはいる、僕は彼らには一切お金はやらない。
なぜって、その時僕があげても彼らにとってその場しのぎなだけで、なんの解決に繋がらないから。生活が苦しいのは見ればわかるけど何もせず、ただ"お金ちょうだい" だけじゃ 渡せない。そりゃ大金渡してあげれるなら1人の人生を変えることだって出来るんだろうけど、そうもいかない。
目の前の物乞い以外にも、たくさん他にも必要としてる人たちがいるのに、その人一人には渡して他の人たちには渡さないってのも どうも不公平な気がするし。
.....な〜んてかっこよく言ってみたものの、一番の理由は自分自身がお金がないからなんだけどね。
ただ、掃除をしてくれている彼の姿を見てここまでやってくれてるのに、1ルピーの収入もないんじゃいくら何でも酷過ぎないか。と居た堪れなくなってしまいチャイ一杯分を彼に渡した。これが正解だったのか不正解だったかは未だにわからないけど、インドにはお金を稼げるか稼げないか分からないような仕事でも必死に汗を流す人たちがたくさんいる。この光景が一番僕の心に突き刺さった。
自分のシートで色々と答えのないナニカを考えながらも、気がつけば熟睡。 あっという間にバラナシへ到着していた。
ついに来た!バラナシ!!ガンジス川をこの目で!! 列車を降り立った瞬間オレンジ色のTシャツを着ている、たくさんの人たちを目にした。オレンジはヒンドゥー教ではとても縁起のいい色らしく、ちょうど儀式の時間だったのですごい人で賑わっていた。儀式は毎朝、毎晩一回ずつ行われるようで僕たちが想像するような静かな儀式ではなく、とても騒がしい。
到着早々このバラナシの雰囲気に翻弄されながらも、予約した宿に向かって歩いてると一人の日本語がペラペラなインド人に話しかけられた。 前に一度会った事があるかの様に手を振る見知らぬ男
どこに行きたいのか聞かれ宿の名前を伝えると、遠いからリキシャを使うよう言われたが、お金を使いたくないから歩いて行くと伝えると彼が案内をしてくれることになった。(一言も頼んでない) いちいち地図を見る手間が省けるし丁度いいや!と思い後をついて行く。
そしてついに、あのガンジス川と初対面。第一印象は言っちゃ悪いけど、とんでもなく濁ったきったねぇ川。インド人には申し訳ないけど初めて来た僕の目にはそう映った。汚い川ではあるが、有名な川であることには変わりないので到着早々一枚。
のんびり川を眺めていると、先ほどの彼に宿まではまだ距離があるので、先を急ぐよう促された。いやぁ一言もお願いしてないんだけどなぁ......
とりあえずついて来てみたものの、ここで一つ不安が僕の頭によぎる。ボッタクリや、ずる賢い奴が多いことで有名なインド、彼も到着したらお金をせびるんだろうか??
今のうちに聞いておこうと思い、連れて行ってくれたらお金払わなきゃいけないのかな?と尋ねると、ものすご〜く遠回しに払ってもらたいようなことを言ったので、キッパリ "頼んでもないしお前が勝手に案内しだしたんだろう、俺は金払うつもりねぇからな" と強めの口調で言うと、どうも納得のいかない表情を浮かべ、何処かへ消えていった。話した感じ悪いやつではなかったので、少し言い過ぎたかなと後悔もしたが、やっぱりインドではなかなか無償の親切というものに遭遇できる確率はは少ないんだなと再確認できた。
インドではボッタクリが多いけれど、こちらもこちらで納得できない時はガツンと言うと逆ギレなどはしてこないので、あまり心配な面は感じない。ボッタくるインド人達も少しは罪の意識を感じているんだと思う。
何はともあれ、最後は自分の足で宿に到着し、バラナシ生活がスタート。1泊200円ほどの今まで泊まってきた宿の中で一番安い宿、何か曰く付きか?と心配ではあったが洗濯機もタダで貸してくれる良心的な宿で問題はなさそう。いよいよ僕のガンジスが幕を開ける。
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【タージマ・ハル】インドと言ったらこの場所
僕が泊まっている宿(ニューデリー )からタージマハルがあるアグラまでは電車で向かう事にした。
インドでは電車が公共の乗り物の中で一番身近に利用されています、みんなも一度はテレビで見た事があるかもしれない。
これは少し大げさだけどね
インドの電車と言ったら、やっぱりあの混みよう… 駆け込み乗車なんて日常茶飯事でドアはもちろん開きっぱなし、あわよくば電車の屋根で目的地を目指す猛者が居たりと何でもアリ。
その環境に飛び込むのが僕の一つの願いだった。 電車は 3段階ほどに階級が分かれていて、僕たちが想像してるインドの列車はジェネラルシートという一番安く現地人御用達のシートです。
駅までの道中、周りのインド人たちに行き方を教えてもらいながら向かっていたんですけど、みんながみんな言うことが違って、かなりのタイムロス。
リキシャを使うも全然違う駅に連れて行かれたりと慌てふためきましたがこの笑顔
やっと到着。つにい格安チケットことジェネラルシートチケットを購入。
ここで驚いた事にニューデリーからアグラまで200kmないぐらいの距離、つまり約 東京~名古屋間の距離を 140円ほどの価格で行き来できるんです。
これにはビックリたまげました!
窓口で "嘘だろ! "と叫びました。
インドの電車は大遅延で有名だけど、案外時間通りに来て苦労する事もなかったです。 拍子抜け…
到着と同時にテレビで見ていた "あの光景" がいきなり僕の目に飛び込んでくる。
何人か飛び乗ってる~!!
うぉ~!!僕のテンションは早くもMAX!!!!
これこそインドだ。
と僕も見よう見まねで飛び乗り乗車。
するとホームに居た警官にめちゃめちゃ怒られました。 どうやら飛び乗りに失敗して毎日のように何人もの人達がホームと列車の間に滑り落ちて 体が、ちょん切られる人身事故が多発している為、法的に禁止されているみたいです。
なるほど、、、インドの電車が遅れる原因てそういう事だったんだ…
ちょっぴり反省して乗車した僕。 始発だったためシートが空いている!
ラッキー座れんじゃん!!
飛び乗り乗車したおかげで、停車するのを待っていた人たちより一歩、いや二歩リード出来た僕の特権だぜ。
停車した電車にはこれほどかと言うほどに次々とインド人たちが乗り込んでくる。あっという間に僕の座ったシート(片側 4人がいいところ) に 5人…
想像以上だ…
上にもシートがあるけど、そこも店員オーバー、インド人達でいっぱい。 僕の目の前には上のシートに乗っかってるインド人の足が、、、、、まるで僕に催眠術をかけるかのように右に左に揺れる。
おまけに、ツーンとする彼の足の臭いが僕の鼻を襲う。
アドレナリン全開の僕はこんな環境でも笑顔! めちゃめちゃ楽しいじゃん!!
完全に感覚が麻痺、いやイカれていた…
このように感覚が訳の分からなくなってる外国人しかこのシートには座らないらしく、周りには僕以外の外国人を見ることはなかった。 インド人たちからも珍しがられ終始話しかけられる。
人懐っこいインド人大好き。(視線は鋭いけど ) 話してみると面白い奴ばかり。
タージマハルのあるアグラまでの道のりは片道4時間ほど。
この状態で4時間かぁ …
インドの車内は禁煙なので、そこでの活躍を目的に作られたタバコ? のような不思議なモノを何人ものインド人が口にしていた。
パッケージは何だかグロく、中身は木屑のような粉末。
口に含みしばらく噛んだり舐めたりして、ペッと吐き出す。 得体の知らないモノを …
勧められたけど、とてもじゃないけど気が進まず断わりました。
ここで一つ気になることが…
格安のチケットを買ったのはいいが誰にも確認されない…
車掌さんがくる気配すらない、むしろ通る場所がない…
インドには改札がないので、車内で車掌さんに購入したチケットをチェックしに来る手はずなんだけどなぁ …
隣のインド人に聞くと、"アイツらは来ないよ、ちなみに 俺はチケット買ってないよ~ "と言い放った。
なんて自由ダァ~ もう本当大好きインド人。
なんてチャーミングなんだ。
ただノーリスクな訳ではなく、見つかると2000ルピーの罰金か 3年間の懲役が課せられるらしい。
そんなリスク感じさせないほどの満面の笑みのインド人、やっぱり憎めない。
100円の価値もしないのに、このリスクを犯すのは少し怖いけどな…
そうこうしてる間に暑苦しい車内ではあったが気がつけば爆睡して居た僕。 列車はタージマハルのある アグラへ到着しました。
駅を降りるとさっそくタクシーやらリキシャの客引きが引っ切り無しに僕に襲いかかる。これはインドの良いポイントで、自分で値段交渉する手間が大幅に省けます。 気づけば周りに 10人ほど集まっているのでその場で一番安い価格提供してきたヤツに頼むという仕組み。
ただコレ、同業者同士の彼らではかなりギクシャクしてしまう事になる…毎回殴り合いの喧嘩の一歩手前までヒートアップしている現場を何度見たことか …
まぁ僕はそれを見ていつも楽しんでました。いつか火の粉が降りかかるな…
一人のタクシーのおっちゃんに決め、一日アグラ観光で700ルピー (1220円ほど) もう少し安くしたいところだったが帰りの電車の時間もあるので、交渉にあまり時間をかけたくはなかった。
早速アグラ観光スタート。おっちゃんにアグラには何しにきたのか尋ねられ、答えは言うまでもなく....もちろん目的はただ一つタージマハルだ。一応他にも見所はいくつかあるんですけど、タージマハルをゆっくりじっくり見たかった僕は一日タージマハルに時間を費やすことにした。
テレビ番組や、なぜかずっと前から家にある立体パズルで何度も見て、いつかここに来ると誓った夢が今日叶う....入り口までタクシーをつけてもらい帰りの待ち合わせの時間を確認し、いよいよタージマハルへ。
車内でおっちゃんに散々口が酸っぱくなるほど、入り口付近にいる馬車の連中、ガイドは絶対に信用するなと言われたが案の定、胡散臭い明らかに詳しさに欠けていそうなガイド、ボッタくりますよと顔に書いている馬車の男達に囲まれるが御構い無し。僕の見つめる先はタージマハルのみ!
エントランスにつき入場料を払うと長蛇の列が目に入り、渋々並んでいるとなぜか外国人の僕はインド人達よりも先に通してもらいタージマハル イン!
期待に胸を膨らませドキドキワクワク....僕の心はタージマハルの完全な姿を見る準備をしていたが......いざ前にして見ると....
工事中。
ちくしょー!マジか愕然。こればかりは運。しょうがないことなんだけど落ち込んでしまう僕の心。工事を必要としてるのは僕のハートだっちゅうの....
何度か見直すがやはり工事中。やっと現実を受け入れ、素直に観光することにした。工事中ではあったが目の前にあるのは紛れもない本物のタージマハル。真っ白で無垢なその佇まいに、ここがインドであることを忘れてしまうぐらい。それにしてもすごい人の数。外国人観光客はもちろんだが何しろインド人の数もすごい。それもそのはずインドの人口は世界で3位、ただでさえ蒸し蒸し暑い環境なのに人口密度といったらもう....何もしなくても汗が出てくるほど。
話は変わるが、以前ここを訪れた友達と同じポーズで写真を撮ってみる。
タージマハルを正面にして記念撮影をし終わり、同じく一人で来ていたインド人の写真を撮っってあげると撮影終わりに彼との写真をお願いされた。ビックリなことにこれを皮切りに周りのインド人達にどんどん写真の撮影をお願いされる。これが旅行者達の口にする ”インドに来るとスーパースターの気分を味わえる” ということか、うん、悪くないと今日も相変わらずたくさんのブラザー達に囲まれる僕。
来て二日目の今日だけどインドのいいところが見えてきた気がする。一人旅で来てるはずなのに全然そう感じないところだ。一歩外に足を踏み出せば今日も新しい兄弟達が僕たちを待っている。そんな国。それを最高と捉えるか面倒臭いと捉えるかは人それぞれ、僕は紛れもなく前者。なのでインドが楽しくてたまらない。
こんな感じなので肝心なタージマハルの存在を忘れて兄弟達との時間を楽しく過ごしていた。思い出す頃にはかなりの時間が経過してしまっていた。急いで戻りタージマハル室内へ。
室内にはこれを建てた王様と王妃のお墓になっていた。自分の妻のためにこれほど大それたモノを作るなんて、"世の男性の憧れの偉業"をなし得た王様に一人感銘を受けていた僕。ただ一つ。生きた妻ではなく、既に他界した妻に当てた贈り物であるのがなんとも悲しい、どれだけ妻のことを愛していたのかを伺える。スケールもストーリーも壮大なタージマハルを記憶だけに収めきれず、この手でしっかり触り、手触りも確かめ感触にも覚えた。
タージマハルのサイドに並んで併設されているモスクからボ〜としばらくタージマハルを眺める。しかしどうもまだ落ち着かない。夢に見たタージマハルが今、目の前にあることが信じられなくて。気づけば1時間いや2時間そこに居座ってしまった。
あっという間にタージマハルでの時間は過ぎて行った。そしてドライバーとの待ち合わせの時刻も近づいてきたので後にする事にした。この日こうして僕の夢がまた一つ叶った。
帰り道インドでの移動(デリー~バラナシ~コルカタ~ムンバイ)で使う長距離列車の予約をしにオフィスへ連れて行ってもらった。外国人ということと防犯の面もあり、高いシートを予約するよう勧められたが頑なに断り、ジェネラルシートを予約した。最後のコルカタ~ムンバイまでの列車だけをファーストクラスにすることにした。(ジェネラルとファーストを比較するためにも)
そして思う存分にアグラを満喫したので(タージマハルしか行かなかったけど)来た道をたどりニューデリーへ帰るため駅へ向かった。行き道と同様にチケットはジェネラルシートを購入し、列車だけグレードアップして帰ることにした。なぜなら誰にも確認されないから…だけど一応、指定席だから誰か指定した人が来たらちゃんと どいてあげよう とそんな感覚だ。
このぐらい適当なモチベーションでインドは問題ない。むしろ丁度いい。
大遅延で有名なインドの列車だけど、そもそも別に時間を気にさえしなければ何の問題もない。よくわからないがちょうど来た列車がニュデリーまで行くみたいだったので飛び乗った。空いてる席に座ろうとしたら、横の”自称お金持ってますよ”という雰囲気のおっちゃん指定のシートのチケットを持ってないなら座るな、あっちへ行け。と言われた。
インドのお金持ち達はお金に困ってる人たちや路上生活者の人たちに対する差別がひどいと思う場面に何度か遭遇したが、どうやらお金のない外国人(僕)にも冷たいようだ。諦めて列車のつなぎ目で仕方なく我慢しようと覚悟を決めていたら。他の乗客が空いてる席あるからおいで。と救いの手を差し伸べてくれた。
世の中にはたくさん良い人もいるんだよお前と違ってな!と言わんばかりに先ほどのおっちゃんに”あっかんべ〜”をして席に着いた。(子供か俺は....)
片道4時間もかかる道のりではあるが、インドはものすご〜くいろんな意味で濃い国なので一日の出来事を振り返ったりしていると時間はあっという間に過ぎてしまう。そんなこんなで気づけばニューデリーに到着。
こうして僕のアグラ LIFEは幕を閉じた。
アグラ駅
まだまだ始まったばかりのインドライフ、この先どんな出来事が待ち構えてるのか.....
乞うご期待。
最後まで読んでくれてありがとう。