【ベトナム ハノイ】 ドン底の中での嬉しい出会い
ハノイでは誰と関わるわけでもなく、一日中ベッドの上で生活していた。
外に出るのは食事の時だけ。 かなり退屈な日々であったが脚が自由に動かせる状態じゃなかったのと今後の為に苦渋の決断だった。
食事も毎回決まった場所(一番近いところ )で済ませていたので3回ほど足を運んだあたりから何も言わなくても決まったメニューが出てくるようになっていた。
フォーはずっと食べても飽きない
お店の人とはお互いナイスなバイブスを感じ合っていた。 ただそれ以上でもなくそれ以下でもない。
健全な状態だったらご飯に誘ったりどこかに連れて行ってもらったりアプローチしたいところなのだが、負傷しているのでどうも気がすすまず。
ハノイに着いたのは25日。 次の目的地、中国では現地人の友達と7月1 日に会う約束をしていた。
迷惑をかけない為にも早く治さないと…と、ひたすら安静の日々が続いた。 ハノイでも行きたい箇所はたくさんあったが近寄ることも、宿から出ることもなく、ひたすら…
安静中何をしてたかって? 音楽を聞いたり何話してるのかさっぱり分からないテレビを見たり過去の写真を振り返ったりしていた。
ブログの制作に取り掛かろうとも思ったが手も怪我していたので思うようにいかず手をつけられませんでした。
もちろん反省もしていました。何故 こんな事になってしまったのか、防ぎようのあった事故だったのか この事故で何を学んだのか…などなど。
ただ悔しかったのが前を走っていたキューブレーキをかけた女が僕が倒れたのにもかかわらずそっぽを向いてどっかに消えてった事だ。 もちろん彼女は気づいていた。
あの女の顔は死ぬまで忘れることはないだろう。孫の代、ひ孫の代まで恨み続けてやる…
なんて事は冗談で!
そんな事を思い返して見たり、一番辛かったのがお風呂。 かなり滲みました。
相部屋でもないので気にせず声を出しながら歯を食いしばって我慢して浴びました。
これでまた男をあげたと1人で思い込みながら毎日。 浴び終わってからの消毒の時間も声を出しながら1人で…
個室で1人しかいない部屋なのに、おかげでなんだか賑やかだったような気がします。
ちょいちょい隣の部屋の人がうるさいと壁を叩いてきたりしました。 大変失礼いたしました。
打撲していた腕のアイシングの為氷を持ってきたホテルのスタッフにもなんだか騒がしいねと苦笑いされました。
そんな生活にも慣れ始め、完治はしていないが出発の鐘が鳴り始めた時。 たまたま食事の為外に出た際。 間違いなく地元のおじさんおばさんとは雰囲気の異なる 日本人であろうお二人を発見した。
気づけば声をかけていた僕。 おじいちゃんおばあちゃん子な僕は嬉しくて日頃溜まっていたストレスや不安、今までの話をものすごい勢いで話していた。
もちろん2人のお話も聞きました。ベトナムには何度も来てるみたいでハノイにまた夫婦で来てしまったと夫婦で笑いながら話していた。
前にも世界を旅してるパックパッカーに会ったらしく、今 その人は有名人になってると言っていた。 ただ名前を忘れてしまったいたので誰のことか分からず…
ナオトインティライミの事かな?w
なんだか2人の雰囲気に実家のおばあちゃんを思い出した。 日本から出るまでずっと一緒に暮らしていたので 急にいなくなった僕のおかげで寂しい思いしていないか とか 元気にやってるのかな とか。
たまらなく会いたくなった。
2人と話しながら涙が出そうになった。
こういう不安な時はやっぱり誰かいてほしいもんなんだなと。 家族の存在がいつも以上に必要に感じた瞬間だった。
ほぼほぼ僕の話が80%ではあったが、 2人にも予定があったのでお別れしその場を後にした。
連絡先を交換したので、お礼の文と一緒に撮った写真と今後のスケジュールも伝えた。
2人もわざわざ返信をくれて、たわいも無い文面ではあったが なんだか嬉しくて、おかげで沈んでいた気持ちがすっかり晴れた。
ハノイの生活も残りわずか、果たして出発までに治るのか…
最後まで読んでくれてありがとう
僕の旅はまだまだつづく。