【ベトナム フエ】この旅始まって以来の大惨事。 in フエ
素敵な雰囲気を存分に楽しんだホイアンを後にし、そこから北上した"フエ"と言う都市へ向かった。 フエには昔ながらの建造物が未だにたくさん残っていて歴史に溢れる街なのだ。
そこには中国の故宮を真似て造られたというベトナムの紫禁城ことインペリアルシティがある。これを見るのがいちばんの目的だつた。
ホイアンからはバスで3時間ほどだった。
宿のスタッフはかなり親しみやすくフレンドリー。着いて落ち着くや否や早速フエの街について詳しく地図を用いながら説明してくれた。
時間も時間だったが歩いて行けるとのことなので早速レッツゴー。 フエの街はそこまで大きくはないが意外と賑やか。クラブやバーなどかたくさん軒を連ねていた。
歩いて40分ぐらいで最大の目的であったインペリアルシティ到着してしまった。 城の周りには一度も使われたことがない大砲や城壁でしっかり囲まれている。 広場のようなスペースもあり 地元の人たちの一種の憩いの場としてあるようだ。
そしてお目当のインペリアルシティのメインゲートの前へ。 中には時間が遅くて入れなかったがゲートだけでも感動した。
地元の人たちに手伝ってもらい記念になる一枚を撮ってもらいました。 思ったよりNGが多く顔に笑顔が見えないのはそのせい。
しばらく眺めて満足してからまた来た道と同じルートで40分ほどかけてホテル付近へ戻りました。
すると近くで楽しそうに呑んでる地元のおっちゃん達が居たので写真を撮らせてくれないかとお願いしたところ、"一緒に呑もうぜブラザー" と誘ってくれたので早速輪の中へ飛び込む。
50%にも満たない意思の疎通でもお酒の力を借り、楽しい雰囲気に。
ベトナムで乾杯と言う言葉は"シンマイ"と言うらしく僕もおっちゃん達もその言葉を乱用しまくりお互いのハートを確かめ合う。
その言葉でしかコミュニケーションが取れないはずなのに本当に楽しい飲み会だった。
お腹の空いていた僕は目の前にあるご馳走にも大満足。 この夜は1円も使わず心もお腹もいっぱいになった。
最後はみんなで記念撮影。
近くにいたおばちゃんに撮影を頼むも、どれも上手いことピンボケ。
こんな楽しい夜の翌日にこのたび始まって以来の大惨事が起こるなんてこの時は知る由もなかった…
翌日、バイクを借りて街を散策しようと思い、 宿でバイクの交渉。まだ 21歳で学生だと言い信じてもらえず長引いたけど値切り成功。 10万ドンを 5 万ドンで借りレッツゴー。
着いた日に教えてもらったところを全て周るつもりでした。 今日の夜にバスでホイアンに向かうと伝えると、宿のお母さんには時間的に絶対無理だって言われたが何故かその時の僕は自信に満ち溢れていました。
この自信が後に大惨事を生みます。
ベトナムは前にもお伝えしたように、バイクの交通量がとにかく多く、どこに居てもクラクションの音がうるさい。 日本では滅多にクラクションなんて使わないのでどうも慣れなかった。
時間に追われていたので飛ばす。 すると前のバイクが僕の存在に気づかず急停車。
ここでクラクションを使えば前の運転手も気づいたであろうがクラクションを使うことに慣れてなかった僕は使えなかった …
急停止したバイクを避けようとハンドルを切り、スリップして転倒してしまった。
そのままバイクから離され反対車線へ転がった。
…死ぬかと思いました。
しばらく倒れていると、たまたま事故したのが薬局の目の前だったので近くの露店のおばちゃん達が僕をそこへ運んでくれた。
着くや否やお医者さんに、絶対染みるであろう薬をためらわずスポンジで傷口に押し付けられる。
"イッテェェェェェェェェエ!!!!"
痛みに耐えきれず大声をあげてしまう僕。 かなり染みるんですこれが。だがお医者さんはそんなの御構い無し。 久しぶりにこんな思いをしました。もうしばらくは御免です。
おかげで 手と足が不自由になり痛みで動かせず、しばらく そこででボーッッとしてました。 お金はいくら?とご主人に聞くといらないと言われた。 不幸中の幸いとはこういう事だなと、しみじみ思い。 動くことができずボ~ッッと 2 時間ぐらい居座った。
しばらくするとご主人が昼休憩で閉めるから帰りなさいと言われ。"あ、、そこまでは親切じゃないんだ" と感じるも、どうしよもなく、痛む身体に鞭を打って店を出る。 バイクも店の前に運ばれていて苦労しながらエンジンをかけようとするも転倒した衝撃でかからず。
最悪だと思いながら、50mほど先のバイク屋さんに持って行った。 何を直すわけでもなく、かかりにくいエンジンのかけ方のコツだけ教わり 解決。お金はかからなかった。
ベトナム人は本当に親切な人が多いです。
しばらくエンジンをかけながら、考え込みます。 俺は何しにフエに来たんだと。 どこも周れずこのまま帰るのか?と。
自問自答の結果、
とりあえずまだ時間はある、予定してたところ全ては周れなくなったがイケるところまで行こうと、何故かアドレナリン全開なANSERへたどり着く。
右手がこの通りハンドルを握れないので指でコントロール。攣りそうになりながらも、かなりゆっくりなスピードでバイクを進める。
街から40kmほど離れたフエのユニークなお墓が並ぶ街にやって来た。
ついた喜びもつかの間、このタイミングで原因不明の腹痛が起きる。我慢出来ず、民家だかフードコートかよく分からないお手洗いに許可なく侵入。
もちろん和式。怪我だらけの脚、手。 締め切ると真っ暗なのでドアを開けたまますることに…
ズボンを下ろすのにも一苦労。和式で苦しみながら用を足す、ハエもたくさんいた、汗だくになりながらなんとか緊急事態は脱しセーフ。
この時が一番辛かったです、この旅一番辛かった。スッキリした感じなんてサラサラなく、頭の中はいろんな思いで真っ白。
無心でバイクに跨り 街へ引き返すことに。
途中目にした光景があまりも綺麗だったので1枚撮った。
これがこの時の僕の最大のスマイルだ。
一度ホテルに帰りスタッフにビックリされる。 感染症が心配だったのでチェックアウトはしていたがシャワーを貸してもらいしっかり洗った。
痛みを大声をあげて我慢しながら浴びる。浴び終わるとその声を聞いていたスタッフ達に大丈夫かと笑われた。
近くの薬局に行き塗り薬を購入。
ヨウ素液みたいな色の液薬と
傷口に直接 塗らなきゃいけない、謎の治りが早くなると言われる塗り薬
我慢し塗りたくり、再びバイクに跨り最後の目的地へ(未だアドレナリンは全開 )
途中寄ったなんだかよく分からない所。記念になりそうなので何枚か撮影。 苦笑いの僕。
そして到着したティエンムーパゴダ。入場料こそかからなくて嬉しかったが、心の底からは喜べず。しばらく周りホテルへ帰った。
とりあえず元気をつけなきゃと近くのベトナム版カオマンガイを2人前食す。
こんな状態なので宿のママ達からは出発をの伸ばしたらと言われるもバス代を無駄にしたくなかったので、準備しハノイ行きのバスに飛び乗る。
座席は二段目だったので通路を通る人とぶつかる危険性は少なく安心。
もちろん熟睡も出来ず、何度も乗り換えをし苦労の果てやっとベトナムの首都ハノイに到着。
誰がベトナムの首都に入る自分がこんな傷だらけだなんて想像したか。
傷だらけではあったがそこまで歩くには遠くない距離にバスが到着したので、徒歩でホテルへ向かう。
この状態でドミトリーの相部屋はキツかったので、しばらく落ち着くまでは個室の一番安い宿に宿泊することにした。
暗雲立ち込める中こうしてハノイの生活が始まった…
最後まで読んでくれてありがとう
僕の旅はまだまだつづく