僕だけの世界地図 ~Going my way~

世界と僕だけの想い出

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【大乱闘】中国航空会社 Air chinaと大バトル






気持ちのいい別れをし、モンゴルを後にした僕はバックパッカーの聖地インドへ向かうため飛行機を乗り継いでいた。

ウランバートル空港→北京空港→青島空港→ニューデリー空港

こんな感じのスケジュール。


モンゴルのチンギスハン空港上空の天候も良好!

チンギスハンたちにお見送りもされ、気持ちよくモンゴルを出発した僕

しかし晴れ晴れしい旅路もここまででした。
中国 北京へ着くと、すぐに雲行きが怪しくなる…
台風が近づいていたため、前の便が軒並みキャンセルになっている… 
案の定、僕の便も3時間遅れている…

23時の出発予定が午前2時まで待たされた挙句、雨は止んでいるのに出発は中止になってしまった。

天候の問題だし、悔しいけど仕方がない。僕もそれには納得した。

ただ!


ただ! なにが許せないかって航空会社スタッフ。
今回、乗れなかったフライトスケジュールを振り替えてもらうよう頼むと "知らない買い直せ" と ぶっきら棒に突き放されました。

はい?買い直せ?

何万円もする航空券、利用できなかったらそれで終わり? そんな何万もドブに捨てるような行為できる訳ねぇだろ!

これには、疲れも堪忍袋の尾も限界。ブチギレました。。


今、話題の○○議員よりもヒートアップしていたような…(違うだろぉ〜!!!)


少々暴言を吐いてしまった僕は情けないです。 深く反省しております。。


でも乗ってもいないのに、"買い直せ"とかあり得ないし サポート不足にも程があるだろ。

いくら他の航空券に比べて安とはいえ、振り替える義務ぐらい彼等にはあるはずでしょ。 
ブチギレにブチギレていた僕がよっぽど珍しかったのか、たくさんの中国人に動画を撮られるも これを機に自分が有名人になったら逆にラッキーだ。的なモチベーションで御構い無しにブチギレる。



国内線での出来事だったが、国際線のスタッフをも巻き込んでなんとか解決。

中国 青島までの航空券を振り替えてもらうことが出来ました。


やれば出来るやんか!

最初からやる事やれや、仕事やろ

と言ってやりたい…

これが海外のスタンスて事ぐらい、もちろん理解してます。

"郷に入れば郷に従え" と言うことわざ もあるけど、おかしいと思った事は自分の納得するまで問い詰める、という事の大切さを学んだキッカケにもなりました。


悪いことばかりじゃない。



しかし悪夢はこれで終わりじゃなかった。


青島について、いよいよ最後の乗り換え…これでやっとインドに辿り着けると、あと一歩でインドというところでまたもや問題発生…北京からのフライトを逃した為に接続便に間に合わなかったのだ。


 しかも青島からインドまでの次のフライトが4日後にしかないという…



なんてこった〜。


立て続けのハプニング、もう驚きもしない。

落ち着いて、青島航空会社に訳を説明する。 引きつりながらも笑顔で自分のフライトがキャンセルになった事が原因で乗り継げなかったと伝え 振り替えてもらうようお願いする。


キャンセルになったフライトがエアチャイナだったので、エアチャイナに問い合わせろ と航空会社職員に頼んで、次のフライトまでの宿泊費、食費は保障してもらうよう懇願しました。(鋭い口調で)


今回は優秀なスタッフたちにも恵まれ、全てスムーズに保障してもらうえる事になりました。


ふぅ〜、一安心。

側から見たら、いっぱしのクレイマーだろうけど 主張するところはしないと舐められるし実際に主張したことによって、なに一つ負担せずに済んだのは僕のK.O勝ちだ!


要は言ったもん勝ち、という事です。

青島航空会社の優秀なスタッフにも感謝しなくちゃね。

お世話になった青島空港の職員


Air china 
後日、この航空会社はあまりいい噂は聞かないと友達からも指摘を受けました。 他の航空会社よりは値段も安く上がるかもしれませんが、利用する時はくれぐれも注意して下さい。

断固オススメはしません


しかし僕もまだまだだな〜と感じたのが、航空会社に用意されたホテルが自分じゃ泊まれないようなホテルだった事に嬉しくなってしまった。

到着した瞬間に自然にと、ニヤけてしまうあたり… まだまだお子ちゃまだなぁ。

今までの長旅の疲れを癒すのには丁度いい時間になりそう。

ホテルの食事も決して豪華じゃないけど、十分十分!

外に出てお金を出費したくなかったので4日間まるまるホテルで生活してました。
ザックに今まで訪れた国のワッペンを縫い付けたり…
次に行く国のインドも先に…

ゴロゴロしたり今までの写真を整理したり、退屈な時間ではあったけど  おかげで疲れもスッキリ解消しました。


リフレッシュし、そしてインドへ出発する日を迎える。

フードコートのスタッフたちとも仲良くなるほど、通い続けていた僕。

ハプニングで訪れる事になった青島だけど、いざ出発するとなると、なんだかやっぱり寂しいような…


4日分、インドでの滞在日数は減ったけど、ついに出発!


はぁ〜、長い4日間だった…


次回
ついに始まる "あの" インド


最後まで読んでくれてありがとう


僕の旅はまだまだつづく

【田舎に泊まろう】 〜モンゴル 遊牧民達と





のんびり過ごしていた首都ウランバートルでの生活に区切りをつけて、最大の目的 【遊牧民達と生活する】を実行するために ここからバスで2時間ほど行ったところにある テレルジ 国立公園に向かう事にした。


観光地化も進んでいて、ゲルのホテルもあると聞いたけど 僕は全く興味がなかった。


僕がしたかったのはホテルなどがある場所からもっと奥地に住む遊牧民と何日間か一緒に暮らしてみること。


モンゴル語を話せない僕は、宿のママに一つだけ必要不可欠な言葉をを教わる。 

それは

あなたのゲルに泊めてくれませんか? 
これだけ話せたら、なんとかなるだろうと思ってました。

なぜ、僕がこんなにも自信に満ち溢れているか。 

それはネットで遊牧民達の事を調べた時

" 彼らは訪れた客人を必ず もてなす。過酷な環境下で暮らす彼ら、仮に訪問者をゲルに招かないような事があると、それが生死の問題に関わってくるからだ" 
とこんな感じの情報を目にしたので、不思議と楽観的に考えていた。


宿のママにも聞いてみると、 "大丈夫大丈夫" すぐ見つけられるよ と話していたので不安要素、ゼロでした。


そして勢いと希望に胸を膨らませ、宿を飛び出しテレルジ国立公園行きのバスに飛び乗る
実際は飛び乗ったりなんかせず、しっかり順番を守り落ち着いて乗車しました。


街からどんどん離れていき、ゲルもチラホラ…

どんどんバスは進んでいき

山奥へ

そして終点へ到着。


さぁ!ゲルはどこかな〜
ゲル探しスタート

たくさんの、だらしのない牛たちが道を塞ぐ


だらしが無いと言ったけど、キッチリした牛も見た事はない。

リアルRedbull
喧嘩はよそでやってくれ

まっすぐ進んでいると、大草原に出た。 

そこで発見!

ゲル!!


お母さんが牛たちの面倒を見ていたのでさっそく覚えたてホヤホヤのモンゴル語で…


ビ タ ノルタイ ホウト ホノジ ボロホー
(今日泊めてもらえませんか?)

オッケーやダメの返事すら分からない僕。 何か言われ、そのまま連れて行かれる…


さっそくゲルに入れるのかなと思いきや

あれ?あれれれれ…

案内されたのは、お母さん宅の離れ。
客人だからVIP扱いされちゃったかな…


いいのに〜ゲルで…


そして横のこの建物を指さされた。

うん、どうやらVIPではなさそうだ。

倉庫なのかな?と思ったけど、中にはベットやテレビも置いてあり僕からしたら高級ホテル。 ちなみに電気は通ってないのでテレビは使えず。

ここを自由に使っていいって事なのかな?  分からないけど、そう捉えた僕は泊めてもらえるだけありがたい!
全力で"バイエルッッテ(ありがとう) とおばあちゃんに伝えました。


ゲルで生活もしたかったけど、泊めてもらえるだけで幸運だ。いつか招待してもらえるだろう と思ってました。
お母さんのゲル

それよりも、本当にこの意思の疎通がままならない僕を泊めてくれた遊牧民の人たちに感動しました。
自家製のミルクまでいただく

こんな感じで僕と遊牧民との共同生活は始まった。

お家には娘さん?お孫さん?が1人ともう1人おばあちゃんが暮らしていた
あと犬(バハル)


何かお手伝いしたくて、掃除や洗濯、薪割りなどを手伝ったり
乳搾りはさせてもらえなかった…

誰の迷惑にもならないので大合唱



ご飯は基本、ミルクをアレンジしたり パンなど

味は普通に美味しい

夕暮れ時の大草原はなんとも落ち着く


一番、しんどかったのが夜
モンゴルの寒暖差を舐めていた僕は毎晩夜の寒さに殺されかけてました。

日中の気温は34°C ほどで夜になると14℃まで下がる この20度もの寒暖差で毎晩おかしくなりそうでした。

僕の部屋は電気もなければ、ストーブもない、おまけに吹き抜けになっているので外と、さほど気温が変わらない。 雨も十分にシャットアウト出来なかったのでかなり過酷な環境でした。
部屋にはこんな巨大な蜘蛛も、、
夜の部屋はこんな感じ
昆虫たちがどこに居るのかさえ分からない

あまりの寒さに、目を瞑ったらそのまま起きることは一生ないんじゃないかな?と不安になったり。

唯一の救いが夜の時間が短いこと。 10時ぐらいに暗くなり始めて5時には明るくなってくるので 毎日 朝、気温が上がりだしてから寝てました。 

ただ日中は暑い、その暑さのおかげで熟睡は一度も実現しませんでした。
朝の景色

どこの家庭にも水道は通ってなく、必要となればタンクを持って町まで水を汲みに行かなければならない。


トイレは自分たちで作ったボットントイレはあったけど、シャワーはどうしてるんだろう?

いろいろ気になったけど、言葉が通じず迷宮入り。。

僕は水汲みのお手伝いもさせてもらえた。

水汲みは基本、子供たちの仕事なのかたくさん汲みに来ている。

今まで、日本で生活していて水の供給に限りがあるなんて経験は一度もなかったので、ここに来て、今までの僕はどれだけ水の無駄遣いをしていたのか気付かされた。 


再利用出来る水はとことん再利用したり、水が欲しくてもすぐに利用できない事があったりなど 水の大切さをこの環境が教えてくれた。 

とてもいい勉強になります。彼らと暮らしていると、物事の本質というものが昔より見えるようになった気がしました。


帰る途中、タンクを持って歩いてると知らない人が方向が一緒という事でのせてくれた

送ってもらい、一仕事を終え、暇だったのでその辺をフラフラしていた、するとご近所さんのゲルの中から "おいで、おいで"  されたので 招れるがままお邪魔させてもらった。

これが僕の初、ゲル!イン!!
こちらは客人用のゲルらしい


僕は生活感があまりにもないゲルにちょっとショックだったのでいつも暮らしてる方にお邪魔させてと 頼み込むと快く招いてくれた。
これこれ!これだよ!!
みんなで記念撮影

お食事までご馳走になりました

外国人があまり来ないみたいなので、物珍しさに招待してくれたみたい。


嬉しいことに初めて、モンゴル人に外国人と認められた瞬間だった。

今までどこに行ってもモンゴル人に間違えられていた僕にとってはこれ以上ない達成感?を感じた。

実は、ウランバートルの街で出会ったアギーとビッッ兄弟との "飲みに行こう? と送るよ? " の誤解と同様にここでも、お互いの意味の吐き違いで、また痛い目に遭う…


お世話になってる家庭で、初日にあんまりにもご馳走を頂いて僕はお腹いっぱいと彼等に伝えたかったのに、" 食べれないからもういらない" と受け取ってしまったみたいで2日目から何にも出してもらえず、ひもじい思いで死にそうになっていた僕にとっては久しぶりのご馳走だった。

ゲルの中には、携帯用ガスコンロ、簡易的なベット、その他日用品があり衣服などはスーツケースに入れていた。

もちろん水はないので川や街で汲んできた分でやりくりするみたいです。



ご近所さんにも認められ、動物たちも少しずつ懐いてくれるようになりました
夜の時間は死ぬほど長く感じたが、こうして4日の遊牧生活はあっという間に過ぎていった。

夜は毎晩 死ぬ思いで過ごしていたわけだけど、悪いことばかりじゃなかった。

ここには明かりが全くないので
見たことないほど美しい満天の星空が広がっていた。

カメラ技術が劣っていたのでうまく撮れませんでしたが…残念。。


感動と寒さの狭間でずっと眺めてました


そして最終日
人生初の乗馬をモンゴルの大草原で体験しました

違和感を感じた人もいるかもしれない。

そうなんです脚、、めっちゃ短けぇ…

モンゴルの馬は栄養が体に行き届いてないのか、どれも短足でした。
かっこよく決めても絵になりません、ただものすごく愛嬌があって可愛かったので不満はなし!!


初めての乗馬… 
とにかく腰が砕けそうになるくらいダメージが溜まりました。 1時間半乗馬したけど、これが限界…

同じ四駆なら僕はやっぱり車がいいな…


最後は大草原で自分の思い描いていた、大草原での大の字

写真では伝わらないけど、こんな事は地元の人たちは誰もしない。僕も正直しようか迷った…

なぜって、草原には牛やら馬やらのが1m間隔で大量に転がってるから。

彼等がブリブリ排泄物を落としてる姿を見てきた僕には、かなり苦渋の決断だったけど 夢は夢のまま終わらせたくない…と構わず寝っ転がりました…


広大な大草原で、のんびりした時間。余計なことなんて思いつくはずがない、そんな新鮮な環境で、都会の忙しさや疲れを忘れ新しく生まれ変わったような気がします。
またここに帰ってきたい。

最後は今までお世話になった家族に感謝を伝えた

嬉しかったのが、また帰って来ていいか?と聞くとお母さんが笑っていつでも帰っておいでと言ってくれて涙が出そうでした。 次に帰って来るときは、しっかり防寒対策もして戻ってきたいです。
この写真はウランバートルに戻ってから、現像してお母さんたちに送りました。 忘れないでくれるといいな。


届くのかどうか分からないけど、お母さんが書いてくれた住所?があってれば届くはず…


遊牧民の人たちとの思い出は僕の宝物です。
ありがとうモンゴル!
バイバイじゃなくて、行ってきますと叫び次なる目的地へ
空港の周りも大草原


次回、いよいよ向かうバックパッカーの聖地インド
道中起こる大惨事
このたび始まって以来の大乱闘、始まる!!

最後まで読んでくれてありがとう

僕の旅はまだまだつづく

【モンゴル】 首都ウランバートルで生まれた たくさんの物語





ウランバートル到着早々、宿が見つからねぇ…

それもそのはず。
看板も無けりゃ、入り口が3階になっていて鍵がないと入れない。
こちらのマンション。
3階の1室がゲストハウス


入口の看板も宿のものじゃないし、これじゃ辿り着けるわけないだろ!!

目の前に宿があるとも知らず、2時間ほど無駄に彷徨ったところで、心優しきモンゴラーに助けられ到着。

カビゴンのような彼が特別体格がいい訳ではなく、多くのモンゴル人男性がこんな感じ。

みなさん体がゴツくて、気のせいか朝青龍に似た顔つきの人がたくさん街でウロウロしてる。 
ちょっぴり怖い雰囲気の首都ウランバートル
道端で寝てるのか、それとも…なのか判別のつかない人がいたり…
ヤンキーが乗っていそうな車がブンブン通っていて、想像とは全く違う世界に戸惑いが隠せない初日。




そして驚いた事がもう一つ。
横切る車、横切る車トヨタプリウス。モンゴルで大人気の車種なのか頻繁に目撃するウランバートル市内。タクシーも全てプリウス、おかげで日本人の印象はかなりいいみたい。そのせいか、たくさんの親切にも恵まれました。


宿はなんだか、誰かさんのお家みたいな雰囲気で他の宿泊者たちとはすぐに打ち解けられるような空間だった。
日本からモンゴルに来ていたイスラエル人のアイザックと東南アジアから来たイギリス人のスティーブ。 2人とも次の行き先に悩んでいたので、思い切ってヘンテコなプレゼンで日本を紹介すると気に入ってくれたようで、2人ともその場で日本行きの航空券を予約してくれた! 
なんだかとっても嬉しい反面、もっと日本の魅力を100%伝えてあげたかった…という悔しさで複雑な心境…

1ヶ月近くこの国に滞在してる2人はもはやモンゴルのエキスパート。ウランバートルから他の地方の見どころなど、たくさん教えてもらった。

しかし僕がモンゴルで一番経験したかったのは遊牧民たちとの生活。 滞在スケジュールは1週間しかないので今回はあまり遠くの地方へは行けそうにない。


とりあえず、教わったウランバートルの市内を見て回る。
高いビルなどはあまりなく、高層マンションなどに登ると かなり見晴らしのいい景色が現れる。

一国の首都だから やっぱり凄い賑やかなのかな?と想像していたけど、実際 人はかなり少なくて、なんだか寂しい雰囲気。
閑散としている




そして東南アジアのように屋台は全くないので、久しぶりにファミレスに足を運んだ。

モンゴルと言えば羊肉!
羊のハンバーグ

臭さもなくてとっても美味しい!
値段はサイゼリアと同じぐらい、一皿6500トゥグルグ (300円)ほど。モンゴル通過トゥグルグ、初めて聞いたわ。
料理は少し量が足りないので2人前。


引き続き市内 探索

モンゴル版の国会議事堂
かの有名な チンギスハン

モンゴルには2つの種類の文字が使われていて、古くからモンゴルで使われてるモンゴル文字

横に表記する事は出来ないらしく全て縦に記されている。


看板などでも横に表記が出来ないので、利便性にかける事も多いことから最近はあまり使われなくなってるみたい。


現在ではロシアなど広い地域で使われてるキリル文字が書体だそうです

この事に関して、多くのモンゴル人たちは危機感を持ってるみたいで、いずれ俺たち独自の文字が失われるかもしれないと嘆いていた。

世の中には右から読んだり、左から読んだり、未だ象形文字を使ったり、様々な書体が国によってあるけど縦にしか表記できないの文字はちょっとやっぱり不便かな…

単に見慣れてないてだけかもしれないけど、僕はそう思った。



夕暮れ時、市内から外れの方に小高い丘?だか山だか が見えたので夕陽をそこから眺めようと向かった。

市内から一歩出ると、なんだか一気に変わる。外国人を見なくなり、言葉では表せないあの独特な雰囲気…そして感じる視線…と思いきや、
みんな僕を外国人だと思っていないようだ。
僕は日本にいる時から頻繁にモンゴル人に間違えられていました。そして、その事がここに来てアドバンテージとなる。

馴染めてる…

誰1人として僕を外国人だと思っていない
そう、現地人に溶け込んでしまっていた。
  お店に入ると 必ずと言っていいほど、モンゴル語で話しかけられる…

モンゴル人似 万歳


2時間ほど歩き到着した丘

高い建物が多くないので、遠くの方まで見渡せて なんとも気持ちのいい景色。

時間は夜の7時…あれ?夕焼けを見に来たのに、なかなか日が沈まない…


モンゴルでは昼の時間がすごく長い。夜、暗くなり始めるのが10時前とか。



いつまでたっても日が沈まないので、もう一つ訪れたかったポイントへ向かう事にした。


歩いて3時間…




やっと到着する頃にはあたり真っ暗、楽しみにしていたのに イメージしてたものとは全然違って拍子抜け。めっちゃめちゃショボいテーマパーク。
こんな時間なのにたくさんの子供達が遊んでいた。
(海外の子供達は基本 夜更かし気味)


はぁ、
こんなに長い時間歩いて来たのに…



帰りも時間がかかるので、楽しむ事もなく すぐ帰ることにした。


なんだか無駄足になって、ムシャクシャしていた僕は夜中であまり人通りも少なく日本語も通じないと言う事もあって、大声で一人カラオケをしながら帰っていた。


すると2人の少年が話しかけてきた、同じ年のアギーと、一つ下のビッッ  兄弟らしく楽しそうな僕をみて一緒に帰ろうと言ってきた。
案内をしてもらいながら帰る事にした。2人は全く英語が話せなかったので、お互いフィーリング

この事が原因で、この後に起きる事件をこの時の僕は想像すらしてなかった。


1人で向かっていた時より、やっぱり誰かといる方が楽しくて時間は早く感じる。

市内まであっという間だった。気づけば周りにたくさんの仲間ができ、ワンピースみたいな感覚だった。 進むにつれて仲間が増えていき、ゆくゆくは海賊王にまでなろうか考えたほど。

最後は記念にチンギスハン像の前でみんなと記念撮影

アギーとビッッ以外とはそこで別れた。

2人に呑もうと言われ一緒に飲むことに… 宿の場所も聞かれたが地図を見るのが苦手なのか当てにはならなそうだった…


自分の宿を通り過ぎどんどん突き進む…
あれ、おかしいな?
店もどんどん減ってきてるし、
どこへ向かってるんだ??

宿から数キロ離れたところで2人にいろいろジェスチャーで質問してみる。
すると2人は、呑もうとしていたのではなく、どうやら僕を宿まで送り届けたかったらしい…

あのジョッキを待つジェスチャーはなんだったんだ…

全然関係ねぇ〜…

言葉の壁…

宿、普通に通り過ぎてるし…


引き返させるのが悪かったので1人で帰れると言い、2人を返した。
もちろん、ちゃんとお礼も言ってね!


再び今来た道を引き返す僕…

夜の街にも朝青龍に似た顔をした体格良さげな あんちゃん達がウロついていて かなり怖い。

なるべく目を合わせないようにして、足早に足を進める。


やっとの思いで宿 到着。
時刻は夜中の2時。

しかし、いくらドアを叩いても全く反応がない。 そう時間も時間で、みんな爆睡してしまっていた。

人の気配すらしない中の反応に諦めて、
ここで野宿する事となった。



あぁ、なんて日だ!


こんな浮き沈み激しい一日は初めてだ。


今日の楽しい思いだけを振り返りながら朝を待つ僕だった。

ウランバートル市内の朝の様子





やっと起きた 他の宿泊者にドアを開けてもらい、ばたん休…


そんな幕開けとなったモンゴル初日でした…


次回、ディレクター、通訳、ガイドなし
田舎に泊まろう by myself 
お楽しみに



最後まで読んでくれてありがとう

僕の旅はまだまだつづく

【シベリア鉄道】中国〜モンゴル コンパートメントは北朝鮮人と一緒⁉︎



いやいよ今日が待ちに待った
翔太の【世界の車窓から
第1弾: シベリア鉄道編


気合い十分の僕は出発時刻の5分前ギリギリに到着した
(どうせ遅れるだろうと見越して)


ホームは北京駅 1番ゲート

莫斯科→これがモスクワの漢字表記


すでに搭乗が始まっていた。
危ない危ない…
乗り遅れるところだったぜ

乗客のほとんどがロシアへ向かう、モンゴルで降りるのはモンゴル人と少数の中国人、そして僕だけだった。



ゲートをくぐるとそこには…

デーン!!!!!

看板にもしっかり書いてますね!
【北京-ウランバートル-モスクワ】
北京からモスクワまでは6泊7日
僕は途中ウランバートルで下車するので丸一日となる

シベリア鉄道とは北京からモスクワまでを結ぶこの列車の事だけでなく、ロシア極東部ウラジオストク〜モスクワ間を結ぶ長距離列車たちの総称でもあるのだ。

ユーラシア大陸を横断する列車として最も有名で一番長い距離なのが北朝鮮平壌からモスクワまでにして、総距離10.272km  
これが世界で一番長い距離とされている。
ちなみに乗車時間は1週間!

これが、世界一退屈な鉄道とも言われる要因なのだ。


北京からモンゴルまでの一日ぐらいが返って丁度よかったのかもしれない。


さっそく乗車!
一室4人席になっていて、車内にクーラーはなく扇風機のみ
停車中の車内温度は40°C
嘘だろ!これじゃ俺の燻製が出来上がっちまうぜ!!

長い時間の利用になるので、まずはトイレの確認
悪くない、中国国内のトイレに比べると断然綺麗。



暑さで死にそうだったので出発ギリギリまで、とりあえず外で待つことにした。


甲高い警笛とともに発車〜

一車両だいたい1人の車掌さんが担当していて、僕の車両のおっちゃんはツイてない事にかなり厳しめの人だった…
↑何言ってるのか分からないけど、何度も怒鳴られた
多分早く乗れって言ってるんだな。



僕のコンパートメントには他に2人、 乗客がいて、その人達がなんと!!

北朝鮮人!!!
マジか〜、なんかの工作員かな、夜もオチオチねてられないよぉ、闇の中に生きる人たちかなぁ、どっか連れて行かれたりするのかなぁ…
悪い妄想ばかり膨らむ。


最初、自分たちの事をKOREA出身と言っていたので韓国のどこか かなと思い込んでいた。
地図を見せて韓国のどこ?と聞くと北朝鮮の首都、平壌を指したのでビックリ!

North Korean やないかい!

北朝鮮の人たちは韓国人も含めて自分たちをKOREANと呼ぶのかぁ〜 

初めてお会いする北朝鮮人。
日本では滅多に会う機会はないけど、これはシベリア鉄道。北朝鮮からロシアまで繋ぐ路線、そう驚く事じゃないのかなぁと自分なりに心を落ち着かせる

日本のニュースで頻繁に注目を浴びる国という事もあって、こんな珍しい機会に聞きたい事が山ほどあったがあまり質問攻めも、失礼なのかな…むしろ僕がスパイと思われても嫌だし…と興奮する自分の気持ちを抑えて自然に過ごすことにした。


2人は夫婦らしく、終始ニコニコ、物凄く感じがいい人たちで 思っていた北朝鮮の人物像とはまるっきり違いなんだか拍子抜け。
むしろ聞きたい。自分が思い描く北朝鮮人の人物像って…

2人の間には子供がいないみたいで、僕の事を自分の子供のように面倒をみてくれて、なんだか凄く落ち着けて、とても居心地が良かった。


今回はロシアまではお仕事、北朝鮮とロシアを繋ぐ重要な役割(エンジニア)として訪れる予定だと話す2人。

旦那さんの名前が
ナム ソンコン 

奥さんが
ネーニス ナムソンコン パクソノ


それぞれを呼ぶ時の呼び方が全く分からない…


呼ぶたびに、ネーニスナムソンコンパクソノなんて僕のマウスがついていかない…

滅多にない機会なので北朝鮮の言葉を少し教えてもらった。

こんにちは
アンニュハセムニカ

ありがとう
コーマッスミダ

センムルスプリング

なんで数ある単語の中で【水】を尋ねたのかは自分でも分からない。


韓国語と少し似てるようだが、正確には違うらしい。 図々しさを前面に出して何か北朝鮮のモノが欲しいなぁとお願いすると。 お菓子や水を頂いた。

彼等は英語はそこまで話せないが、ロシア語は話せるようで ロシアでの生活を踏まえて車内ではずっと分厚い辞書を何度も何度も読み返していた。(アナログ)

持っていないのか分からないが、電子機器を使ってる姿は一切目にしなかった。


連絡先などを交換したかったが残念ながら叶わず…


国外に出てる北朝鮮人は国内では裕福層という僕の勝手なイメージだったが、見た感じ2人はすごく質素で高価なものなどは全く身につけていなかった。


ニュースで見た話だが、2人のように国外に出て働く人たちの収入の半分以上が国に収められていて、そのお金が全て軍事費に当てられている。

こんなにいい人たちが汗水流して働いたお金の半分以上がテポドンに…

複雑な心境だ

本当なのかな?とすごく気になったが、こんなこと聞いて気分悪くさせたら申し訳ないと思い、今こうして日本人と北朝鮮人は仲良く心を通わせられているので、今は戦争や国同士の話はやめようと、 僕の心の中にそっとしまっておいた。 

外の景色も北京を出て時間が経つにつれ少しずつ変わり始める
列車の中ではいろんな出会いがある、僕は他のコンパートメントの子供たちに同レベルと思われていたのか、寝る間もなく遊びの相手をさせられる

お菓子をもらったり
わんぱく小僧

ヘトヘトになるんだけど、やっぱり子供は可愛いね

日付が変わろうとしてた頃、ある駅に着いた。

エレンという駅

ここで乗客たちが一斉に降ろされる。
理由は荷物検査と出国スタンプを押すため。
つまり、これより先はモンゴルに入るということ。  いよいよだ!
ドキドキワクワクする午前1時半。


1時間ほどで車内に戻され、出発する列車。

パスポートが手元に戻ってこない事に心配しソワソワしだす北朝鮮の2人。
大丈夫だからと説得させながら、ある倉庫に入った


なんだこれ?
と思いながらただ見守ることしかできない僕たち。
すると列車が持ち上がり、車輪部分が取り外され新しい車輪が装着される

こんな感じの作業が3時間ぐらい続く。
でもなんで?

それは中国、モンゴル、ロシアで線路の幅が違うので国をまたぐ際に車輪を変えなければならないらしい。

乗ったままこんな作業…すごい要領の悪いような気もするが…

無事、車輪も変え終わり再出発して数時間。パスポート返ってきたので、なんの心配もなく眠りに着く。


翌朝、朝食の時間と共に起床した僕は北朝鮮人の2人を食堂へ誘うが 人混みは避けてるのか、テイクアウトで食べたいと言われたのでコンパートメントの中で食べることに。


列車には食堂が設けられていて、時間になるとそこで食事が提供されることになっている
こんな感じ  中国版 食堂車両

するといつの間にやら先頭車両だけでなく、後続車両と食堂車両もモンゴル仕様に変わっていた
モンゴル版 食堂車両

中国車両

モンゴル車両 誰1人外に出てない…


部屋も全然違う、1室2人

僕たちは自分たちの部屋へ戻り食事

昨日の晩と朝の料理のラインナップはこんな感じ。
引換券


朝食を済ませ、外を覗くといつの間にやられモンゴルのゴビ砂漠に突入していた

かっこよく身を乗り出して外を覗くと砂煙やら煤やら、クシャミが止まらない
この砂漠の中を4時間ほど…



子供たちの相手をしているうちに窓の外は次第に一面 緑の芝に包まれていく
おー! THEモンゴルや!!
ゲルはどこかなぁ〜


いつ出現するかも分からない街の光景を待ち続けていると急に集落が姿を現し始める


だんだん街になっていき…


そして!ついに、
長いシベリア鉄道の旅にも終わりの鐘がなる時が…

とんでもない量の荷物だ…

降りる時の車両は僕が北京から乗ったものとは異なるデザイン

世界一長くて、退屈な鉄道と言われてるシベリア鉄道。初めて乗ったという事もあってか退屈に感じる余裕などないほど驚きと、出会いの連続でした。 もう一度乗りたいかと聞かれても、うんと答えたいぐらい良い時間だったな。 初めて会う人たちでも同じ床(とこ)で寝る関係という事で次第に仲も深まったり、子供達といると賑やかでなんだか修学旅行を思い出したり。変わらない景色がしばらく続く時間もあるけど、それがまたいい時間だったりする。これは乗った人にしか分からない! 


そしてなんと言っても、北朝鮮の2人に出会えた事が僕にとって大きな財産となった。とても優しく、愛嬌があり僕の事を自分の子供のように面倒を見てくれた2人が大好きだった。 別れ際、本物の家族のようにお互い、この先の安全を願いハグをして別れた。


あまりのいい思い出に涙が出そうでした。

また2人に会えたらいいな。

行政的にはギクシャクしたり、日本人の中には悲しい出来事に巻き込まれた人もいるけど、無関係な国民たちまで敵にまわす事は、ないんじゃないかなと感じます。 近い将来とは言いませんが、いつか日本と北朝鮮の、国交がいい方向に進んでくれたらなと願ってます。


鉄道マニアじゃないけど、シベリア鉄道には本当に魅了されました。全く興味のなかった鉄道に関して、気になり始めている自分がいる…笑
是非、機会があったら乗って欲しい鉄道です。


モンゴル ウランバートル到着



最後まで読んでくれてありがとう

僕の旅はまだまだつづく

【中国 北京】 5年ぶりの北京、ただいま! そして…



5年ぶりに訪れた北京。
以前は叔父と2人で訪れたが今回は1人。



ここに来た目的は、世界一長い鉄道 "シベリア鉄道" でモンゴルへ向かうためだ。
ここ北京が始発駅となる。


北京駅。人の数と大きさは随一。


北京はメトロも走っていて値段も安くかなり便利に移動が出来る
↑真ん中のイラストが故宮 (北京の山手線)


1週間のうち、水曜日のたった1本しか運行しないシベリア鉄道。 それを逃すと必然的にもう1週間滞在せざるをえない…そうなるとビザを取得しなければ、、、、と色々ややこしくなってくる。 何としてもその一回のチャンスにかけたい。

ただ到着したのが月曜日。
出発は明後日…
大丈夫だろうか…と少し不安感も…

ま、宿から北京駅は近いし、すぐ取れるだろう…



ハイペースな旅で少し疲れていたので、とりあえず宿で休憩がてら少し寝ることにした。
扉がかなり重厚感ある…


起きたら真っ暗、"やべやべ" と宿を飛び出て北京駅へ
すごい人


これチケット買えるのかな…これだけの人の何割かが席を予約してたら即完売だよな…

と冷や汗をかきながらチケットカウンターに向かうが、どのカウンターにもシベリア鉄道の窓口がない。


ここの駅から出発する事は間違いないはず…あれ?

なんで?!


職員に聞いても "そんなの知らない"、"ここにはないぞ" と、どこにあるかは教えてくれず   "ない!"  の一点張り…


流石に僕も焦りだす…

今回のに乗れないと、何もかも歯車が狂い始めるからだ…


とにかく周りの人たちに聞き込みまくり、ついに!
"目の前のホテルで予約出来るよ"
と有力な情報を得る。

目の前のホテル?…
目の前にはないぞ?!

北京駅正面からまっすぐ伸びる道の先にホテルらしきものが見える。


とりあえず向かう
北京国際ホテル
なんで列車のチケットが駅で買えないんだよ…と疑問を抱きつつも、明らかにVIPにしか見えない人たちの中に1人タンクトップ姿で紛れ込み探す。


あった!!!
これだ!!!!!!!

そう!旅行会社でチケットが買えるという訳だ。がしかし既に営業時間が終了していた為、翌日出直すことにした。

売り切れてるか心配だがじっと夜を待つしかない…


翌朝、気合いバッチリでオープン時間と同時に予約しにホテルへ。 幸い、チケットがまだあったみたいで一安心。

北京からモンゴルの首都、ウランバートルまでは片道1220元(19250円)
・朝昼晩 の食事付き

世界一というブランドの割には日本の新幹線と値段は変わらない
現地の物価で考えるとやっぱり高いが飛行機よりは安い

翌日の11時22分 北京発 モスクワ行き
ゲッチュー!!
いよいよ僕の次なる大冒険が始まる予感


ドキドキ、ワクワク…



帰り道にプラッと近所の天安門故宮、景山公園を散歩

絶妙なタイミングでシャッターを切られる



一緒に周ったジョセフと



余った時間で5年前に訪れた地へ足を運んでみた。


以下は5年前のダウンタウンでの写真
今と昔を比較してみました。

街もそうですけど、僕もかなり変わりました。

かつて宿泊したゲストハウス


街並み


特にこれと言った観光をしたわけじゃなかったが懐かしさに浸りながら北京、中国での最終日を楽しんだ。




いよいよモンゴルへの大移動
世界一の鉄道シベリア鉄道の旅が始まる







最後まで読んでくれてありがとう

僕の旅はまだまだつづく




【始皇帝の兵馬俑】世紀の大発見 兵馬俑





初日のドタバタ劇を経て、西安での目的はただ一つ。

始皇帝の…

そう!兵馬俑!!


西安駅から306番と番号の書かれているバスで1時間ほど(9元)

相変わらずの人の多さだ :西安





20世紀の大発見の一つとも言えるであろう『始皇帝兵馬俑

周辺に井戸を掘ろうとした農家の人によって偶然見つかった、秦時代を統一していた始皇帝のお墓。 彼がどれだけの権力者だったかを示すため作り上げられた兵馬俑たち。

名前の通り、かつて中国を初めて統一した最初の皇帝。 数少ない歴史上の尊敬する人物の1人。


始皇帝さまさま!!


現在8000体もの兵馬俑たちが発見されている。8000体ですよ8000体!! おまけに銅像一つ一つが別の顔をしていて、同じ作りのものは一つとしてない。


すっごいな!!


これほどのモノがずっと土の中に眠っていて、もしかすると一生見つからずに土の中で眠り続けていた可能性もあるって考えるとやっぱり感動する。


土の中には何が埋まってるか分かりませんね。 僕も自分の家に帰ったら親に何も言わず、一攫千金を夢見て穴を掘ってみようかなと考えてみたり… 


敷地の面積はかなり大きく、エントランスから壮大だった。



始皇帝が僕の入場を快く迎えてくれる



入場料は150元 (2400円)
エントランスを超えてから兵馬俑たちが保管されている施設までは10分ぐらい歩く

この建物内にあの兵馬俑たちが
中に入ると早々、兵馬俑たちが出迎えてくれる。 実際に目にすると、やはり圧倒される。その数と精巧な創りに。





ほとんどが規則正しく並べられてるが、たまに変な方向を向いたヤンチャなやつもチラホラ

未だ発掘途中と思わせる景色も…




悪さをした罰なのか、ラップでグルグル巻きの兵士たちも。





8000体の兵馬俑たちも、もちろん凄いんだが、何しろ観光客の数もすごい。 おまけに体育館のような館内はめちゃくちゃ蒸し暑い。
たっかい入場料取ってるんだから冷房設備ぐらい完備して欲しいものです。

サウナかと思うような環境で汗をタラタラ流しながら一人感動に包まれていた僕。


中学生の時、歴史の教科書で出会ってから僕の夢であった始皇帝兵馬俑が今、目の前に広がっている。

あまりの感動に思わず涙が流れた…と勘違いするほど変わらず出続ける大量の汗。



周りにはお土産屋さんも充実していたが、従業員のやる気のなさといったらもう…

等身大の兵馬俑が買える?!


値段…
15000元 (24万円)



兵馬俑の観光もひと段落し帰る前に、来る途中にあった華清池という定番スポットも寄っていくことにした。


ここは、かの有名な世界三大美女の 『楊貴妃』の観光スポットとして有名なところ。  その美貌が故に国を揺るがしたとも言われる楊貴妃… ワクワク ドキドキ。



 華清池は 昔 起きた大地震驪山が爆発し、温泉が吹き出したため、以降  源泉温泉のある行楽地として栄えた。唐代の皇帝たちも楊貴妃とここでロマンスを楽しんだと言う。


兵馬俑博物館からはバスで10分ほど(3元)

入り口では楊貴妃と皇帝が楽しそうに踊っている
兵馬俑博物館と同じく入場料は150元



中には楊貴妃が使っていたというプライベート入浴スペース…
妄想が膨らむ…


庭園の様子
ロープウェイで山頂まで行けたり


上からの景色


最後は世界三大美女のひとり


世界三大美女の1人、楊貴妃 制覇。
小野小町は日本で僕の帰りを待ってくれているので、残すはエジプトのクレオパトラのみ! 




無事、大満足な観光もし、たった2泊ではあったが滞在可能日数も限られてきたので、翌日西安から北京へ向かうことにした。


最後の夜は西安で出会った仲間たちと今までの旅について語り合う
彼らは僕のバックパックを見て、僕が日本の偉大な冒険家だと信じ込んでいた。


バックパック、日本ではお馴染みだけど、中国では珍しいようで…


あまりにリスペクトしてくれたので、友達からお土産でもらった味噌汁の素を少しプレゼントした。

宿からのこのいい景色も見納め。
西安 最後の夜を楽しんだ






翌日

西安を後にし、中国 最終地点 北京へ

後ろの席のモヒカン野郎が気になるけど、北京へ向かいます

最後まで読んでくれてありがとう

僕の旅はまだまだつづく

【中国 西安】 到着早々、警察に捕まる?…いや捕まえる⁉︎


文字は日本も同じみ【警察】と書いてあるパトカー 


異国の地でこの日本語同様の文字を見ても全く安心感は湧いてこない…






西安到着!!


九寨溝の空港を出発したのが夜の7時だったので西安に着いたのは夜中だった。空港から予約した宿まではバスで1時間ほど。



時間も時間だしモタモタしてられない!慌ただしい中 ひとり旅は始まった。不安はあったが市街地行きのバスもすぐに見つけられ順調 順調。時刻はまもなく12時を指すといったところ、なんだかんだ幸先いいスタート。




と思えたのはバスまでだった。

バスからの景色、すでに街は真っ暗



公共の交通機関はもうこの時間機能してないだろうなぁ〜なんてボンヤリ考えていたら、まさにその通りだった。
最悪の予想が見事的中する。

運転手に "バス停だ!" と降ろされた場所、"これがバス停?" と疑問を抱くような場所で、相変わらず辺りは真っ暗。


五路口というバス停
地図でも確認できたが、辺りは真っ暗なので目印の建物が分からない。
宿までは地味に距離がある。


時刻は真夜中の1時半。
"荷物重いし、どうしようかなぁ〜"
焦っていたが、どこか冷静な自分もいた。  どうやって宿まで行こう…

ポク…

ポクポク…

ポクポクポク…

……


チーン!

そうだ、ヒッチハイクだ!
中国でヒッチハイク、あまり聞いたことはないけど  これまでたくさんの親切で愛嬌のある中国人たちと出会ってきた僕はどこか自信を感じていた。


がしかし、辺りは真っ暗。
人気も車もない状況で捕まえられるわけなく、とりあえず歩く。



すると目の前に、暇そうにしてるパトカーに乗った警察官が! 
そうだ、パトカー!! こんなに安全な運転手は他にいない、警官に送って貰っちゃおう。 と罰当たりな作戦にたどり着く。 


さっそく窓をカチ割りそうな勢いでコンコン。 珍獣を見るような目で僕を見て降りてくる警察官。 事情を身振り手振りで宿まで行きたい旨を説明するも通じない。 


そこに暗闇の中 突然現れた近所のおっちゃん、少し英語が話せるようだ。 訳を説明して警察官に通訳してくれた。


一瞬、警察官の表情が曇る…
嫌な予感…


以前、ルゥーミンから中国の公務員はかなり冷たい。あまり性格は良い方じゃないという事を聞いていた。


やっちまったかな俺?…
と自責の念にかられる。



通訳のおっちゃんが戻ってきて、 
"事情は俺が全て説明しておいた、後は任せておけ、彼が君を宿まで送り届けてくれる" と。


マジかー!!
と自分の日頃の行いに感謝し、人生初のパトカー乗車。

通訳のおっちゃんとも撮りたかったが写真NGでした。


パトカーヒッチハイク成功


まだ半信半疑の僕は、降りる時にお金は取られたりするのかな?…と不安だったので警察官にお金はかかるの? 
" Money?? "
と尋ねると声を荒げ "NO MONEY!!" と失礼な事聞いてしまったのか怒られた。


一安心し、パトカードライブは始まった。



いろいろ中国語で気さくに話しかけてくれる警察官、しかし全くと言って良いほど何を言ってるか分からない僕は、せめてもと全力の笑顔で応える。


これに気分を良くしたのか、終わらないマシンガントークが始まる。 聞くとおっちゃん(警察官) の娘さんは日本の石川県の大学に留学していると言う。 年齢は僕と同じで、その娘さんの影を僕に照らし合わしてくれていたよう。


娘さんの影響で日本が大好きだというおっちゃん。 まさか中国でこんな出会いがあるなんて…


たまたま見つけた、中国ではなかなか見ない心優しい警察官。ビックリする自分の心をなんとか落ち着かせながら地図を見ながら宿探し。

まさかの出会いの日本人に興奮してるのか運転しながら娘さんの日本でとったであろう写真をたくさん見せてくれる。


おっちゃん、頼むから運転に集中してくれと心で叫びながらも15分ほどドライブを経て宿へ到着。


2人で撮った写真をくれよと言われたのでおっちゃんとWe chatを交換した。



よし!
これで中国国内で凶悪な犯罪に巻き込まれても安心だ。


外に居た宿泊者たちからはパトカーから降りてエントランスに向かう僕を見て "クレイジーメン" と 言われるも、こうして僕の西安ライフは始まった。











最後まで読んでくれてありがとう

僕の旅はまだまだ続く。