カンボジアが抱えた闇 3人に一人が虐殺された過去 キリングフィールド
プノンペン、無事友人と合流し友人宅へお邪魔することに成功
宿代が浮くぜ!貧乏旅にはありがたい限りです。友人のフレッドくんに感謝です。
到着した初日にトゥクトゥクのドライバーに話を聞きプノンペンではどこに行き、何をすべきなのか情報収集はすでに済んでいた。トゥクトゥクドライバーたちは地元民を乗せるより、外から来た人間を載せる方が稼ぎになるため、大概が観光地、コアなスポット、夜遊びスポットを熟知している。彼らと仲良くなって損はない。これが僕のセオリー。
海外でよく銃を撃ったなんて素敵な投稿を目にするけど、ここプノンペンではロケットランチャーの体験ができるそう。「どこに向かって撃つんだよ」と思いますが。戦争映画やミリタリーゲーム好きのみんなの目がキラキラするのが目に浮かぶ。ただ1発撃つのに1万円と割高。僕は一切魅力を感じなかった。
他にも足を運ぶべき場所はいくつもあったが、友人宅はなんともグッドなロケーション。ほぼほぼ徒歩で行ける場所に位置していたためトゥクトゥクの力は借りずに済むと判断しました。 ただ一つだけ僕の目を引く情報があった。
キリングフィールド
歴史に詳しい人や映画好きの人の中には知ってる人もいると思う。 ドライバーが見せてくれた写真には大量の骸骨の写真が。「なんだこれは」とビックリ、と同時に興味が湧いた。
友人とプノンペンでのスケジュールを組んでいるときにキリングフィールドについて聞いてみた、 どうやら歴史的記念館のようなもので日本の広島ドームに似ていて、ここに来たなら行くべき。過去のカンボジアで起こった出来事の中で代表的な場所。だけど きっとブルーになって帰ってくるよ と教えてくれた。
翌日、家の前にいたトゥクトゥクドライバーに連れて行ってもらうことに。20ドルと言われた、そんなはずがないと 10ドルまで下げてもらい交渉成立。 まだ笑顔があって、かなり親切にしてくれたのでもう少し値引きできたのかなと後悔。
市街地からは少し離れた場所にあり、プノンペンにもこんな田舎あるんだと思わせる風景や舗装されていない道路、昔ながらの生活感を漂わす村を横目に40分ほどで到着した。
フレッドの言っていた事がすぐに理解できた。 入り口付近からでてくる観光客たちの表情に笑顔はない。 エントランスで入場料の6ドルを払い、丁寧に各国の音声ガイドがあるみたいなので日本語のガイドを手にし入場。 目の前には高くそびえ立つ立派な塔、なんだろう?と思いながら音声に従い進む。
この音声がまた、ものすごい上手なナレーションで一言一言にすごい重みがあり聞く人達の心をその気にさせているんだろうなと感じた。
どうやら ここ キリングフィールドは過去にこの国で起こった内戦の傷跡の一つだそうだ。 カンボジア内には同じキリングフィールドが他にもたくさんあり、その中でここが一番有名な場所だそう。
2017の今からたった40年程前の出来事。40年て…僕はまだ生まれてないけどめちゃめちゃ最近じゃんとビックリ。
音声に従い先へ進む。各ポイントに番号が降ってあり、全部で1~18までポイントがあった。
かつてここは中国人墓地としてひっそり人目につかない場所だったそう。 当時カンボジア内で起こった革命運動クメールルージュの当事者 ポルポトが社会主義国を目指し『農民こそが英雄である』を信念に農民たちを従え、街のいたるところから知識人たちを拘束した。教育を受けた人 そして、ただ単に『メガネをかけているから』という理由で拘束された人もいたらしい。 3日で街は空っぽ状態になったと言います。
その拘束された人たちがつれてこられたのが、そう、ここキリングフィールド。 着いた日に何人何人も殺され、自分の番が回ってくるまで人々はそこで強制労働ささられてました。
中でも驚いたのが当時ポルポト政権は財政的に難があり、立派な武器は揃っていなかった為 処刑に使われた道具は普段農作業などで使う道具ばかり…
こんなんじゃ絶対に、一思いに逝けるわけないと思う道具ばかりでした。想像しただけで鳥肌が立ちここを出るまで消えませんでした。 道具ばかりか、ヤシの木の幹で首を搔き切る など考えられないような方法で人々は虐殺されていたそうです。
同じ人間のする事とは思えないような狂気に満ち溢れた行動。 しかしポルポトは『罪のない人を殺すのは敵を見失うよりマシだ』と言い残していたそうです。
キリングフィールドにはいくつも大きな穴があり、ここに亡くなった人たちが放り込まれていたようです。 各穴に何百人も…
死体の腐敗によってガスが発生し 被せた土が盛り上がり、さらに辺りにはものすごい異臭が漂ってたそうです。
当時この場では革命歌が流されていたようで、強制労働させられていた人たちに処刑される人たちの断末魔が届かないようにと掛けられてました。実際に音声ガイドでその革命歌を聞くことが出来ました。明るく愉快なテンポなはずなのに不愉快極まりなかったです。
亡くなられた人たちが最後に聞いていた曲なんだと思うと今まで味わったことがないほどの複雑な心境になりました。
殺された人たち以外でも苦しい思いをした人たちが。ポルポトに従っていた人々。中でも処刑に手を染めてた人たちです。音声ガイドで当時処刑を行なっていた人のコメントも聞くとこができ、彼も犠牲者の一人なんだろうなと、死ぬまで一生悩まされるに違いないんだろうなと聞いてて感じました。
殺されたのは男性だけでなく女性、子供、赤子までも次々に殺されました。『雑草を抜くなら根こそぎ』ポルポトの残した言葉です。息子たちからの復習を防ぐべく年齢問わず処刑されました。 女性は男たちから処刑されるまで酷いことをされていたと言います。
中でも一番見るのが辛かったのがこのキリングツリー。 ここに一番供物が供えられてました。ここで赤子を殺していたそうです、母親の目の前で両足を掴み頭部を思い切り木に打ち付けて。 今でも残る黒いシミ、当時は脳みそや目玉などさまざまな破片が飛び散っていたそうです。 そしてこの横の小屋に死体が集められていたそうです。
身の毛もよだつ出来事です。さっきも言ったように、これが人間のする事かと…
そして最後のポイントが入り口からも見えていたこちらの塔、どうやら慰霊塔のようです。 中にはここで犠牲になった人たちの頭蓋骨が保管されてました。全て墓穴から見つかった犠牲者たちのものです。 これが全員分ではないようですが、ここで起こった出来事の悲惨さ、悲しみを物語ってました。
どれも安らかに眠ってるようには思えない。それぞれに怒り、哀しみ、無念そんな表情をしているように僕には見えました。
周り終えて、正直なにも言葉が出ませんでした。 日本にも同じような戦争の傷跡などたくさんありますが これは全て同胞によるものだと考えるとすごく悲しくて悲しくて。 犠牲になった人たちは納得がいかなかったに違いないだろうなと。本来同じ国民同士、協力し合う関係の相手からこんな酷い殺され方をするなんて…
ポルポトも同じ人間。つまり私たちの誰にでもそういう事を行うキッカケが心に潜んでるようにも感じます。 音声ガイドでも言ってましたが、 ここであったことをただ悲しい、じゃなくて後世に伝えていく義務が僕たちにはあると言ってました。 同じ事が二度と繰り返されないように…
正直、この内容の記事を書こうかすごく迷いました。 ただ僕はいい気持ちにはなりませんでしたが、ここキリングフィールドを訪れて良かったと思いましたし。 世界にはまだまだ僕の知らない深い闇があるんだと。 ガイドの言葉にもあったように伝えていく義務というワードに励まされたのも一つ。 この旅で少しでも多く同じような発見、勉強もしたいなと感じ、そしてそれをシェア出来たらなと改めて思いました。
かなり暗い内容記事にはなりましたが、最後まで呼んでくれて、知ってくれてありがとう。
僕の旅はまだまだ続く