さらば魅惑の都市プノンペン…
プノンペンでの数日間、フレッドのおかげでカンボジアにもたくさん新しく友達が出来た。香港、中国、韓国から仕事でここカンボジアにやって来ていて、 みんな同じマンションに住んでいる。思い立ったらすぐ会える距離で生活していた。
いろいろあって39度の高熱を出して死にそうになり日本から持参した薬が効かず、「やべぇ」と思った時 彼らがMade in どこか分からない薬をたくさん処方してくれて、みるみるうちに体調が回復した事は一生忘れない。
よく言う「その土地で発症した病気はその土地の薬じゃないと治らない」
あながち間違いじゃないのかもしれないと感じた出来事だった。
僕はその国その国オリジナルの食べ物を安く食べるようにしてる。 カンボジアでも同じように体験しようと思っていたが、彼らと食事すると外食(海外料理)中華料理やイタリアン、 アメリカンフードにばかり連れていかれた。
海外の料理を食べるとまぁまぁな値段がする。「日本食が恋しい〜(大概どこの国にもあるっちゃある) 」が手が届かない思いをいつもしている。彼らはいい生活してるんだなぁ〜と感じながら僕のお財布はなかなか寂しくなっていく…
毎晩夜遅くまで付き合ってもらって、僕は翌日も旅なので何時に起きようが構わない、彼らは仕事で朝早いのに本当に申し訳無い気持ちと同時に彼らの体力に毎回驚かされていた。
そんな彼らともお別れの時がやって来る、最終日は日本食に連れて行ってもらうことになった。
げ!!高いよ…
嬉しいような切ないような複雑な心境だったが、最終日だから贈る意味も込めてお金は俺たちが出すよって言ってくれたので気を遣わず 食べたいもの遠慮なく頂きました。
遠慮という言葉は僕の頭の辞書には存在しない。
テニスをしていた時代からそうで、監督になんでも好きなもの選べと言われるといつも好き勝手自由にオーダーし、よく怒られていた。 全く成長していない。むしろする気がないんだと思う。
(テニス時代)懐かしい〜
案の定フレッドも微妙な表情を浮かべていた… 結局 最後まで迷惑をかけっぱなしだった。
一番印象的だったのがキリングフィールドに行った帰りに、過去に日本のしたことについて謝ったら彼らは「俺たちには関係ないよ、過去は過去。今俺たちはこんなに仲良くやってるんだから」と言われた時は長年流してない涙がこぼれ落ちそうになった。
最後はフレッドにバス停まで送ってもらってお別れした。
バスの出発の時間までしばらく時間があった。
バスの出発するところはこんな感じ
ここのバス停でも同じ光景を目にした。 荷物の出し入れは近くにいるトゥクトゥクの運転手たちがしている。バス会社と彼らが提携してるかどうかまでは残念ながら分からない。
でも彼らがなぜここにいるかって?観光用のバスが到着するポジションは客を引く絶好のチャンスだからだ。毎回バスを降りるたび無数の客引きにあう。
到着が 早朝で 彼らが必要ない時はなかなかイラっとするもんだ。 ちなみにかなりシツコイ!! ただなかなかフレンドリーで「ハイマイフレンド、ハローブラザー」とよく話してくるのでついつい長話をしてしまう時もしばしば…
ご覧の通り降りるスペースがないほどの人数が待っている。 「とりあえず邪魔だ、まず おろしてくれと言いたくなる」
僕はあまりにも暇だったんで荷物の出し入れを汗をかいて手伝ってみた。 珍しい光景だったのか周囲の人たちが二度見、いや三度見していた。
終わるとトゥクトゥクの運転手たちからものすごい感謝された。 「お前はブラザーだ一緒に呑もう」 (僕は一人っ子なのでこの言葉に弱い。) と言われたのでバスが来るまでの間彼らと呑み食いした。
カンボジアのトゥクトゥクの運転手の収入は決していいものとは言えない。なのに彼らは見ず知らずの僕のために色々買ってきてくれて、なんだか涙が出そうになった。 幸せってお金じゃないんだな、この気持ちはお金では決して買えるもんじゃないなって。
将来自分がどういう人間になるかはまだ分からないけど、この気持ち、感覚はずっと忘れないでようと誓った。
ただ一つ。彼らの喜びはエスカレートしたのか、訳のわからない物体(多分危険ドラッグに該当する) ?までくれた。 これはかなりの上物だと言っていた(多分)。
しっかり「いらない!」と返しときました。
この くだりのおかげで喜びは中和されたような気もしたけど、プノンペンは最後まで楽しい時間を過ごせた。
最後まで読んでくれてありがとう!
翔旅まだまだ続く!!